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仙台浅草

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仙台浅草
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仙台浅草(せんだいあさくさ)は、宮城県仙台市青葉区昭和町にある横丁である(Google マップ)。店舗は北仙台商店会に加盟している[1]

概要 全ての座標を示した地図 - OSM ...
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西側(堤通側)から見た仙台浅草(2015年6月)

概要

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75 m

北仙台地区の南方に位置し、堤通[注 1]との丁字路を西端(北緯38度16分48.4秒 東経140度52分4.8秒)、県道北仙台停車場線との丁字路を東端(北緯38度16分48.6秒 東経140度52分9.6秒)とする、全長120mほどの横丁である。飲食店洋菓子店、八百屋鮮魚店など約30店舗が集積する[1]

南側に隣接する杜の都信用金庫北仙台支店(北緯38度16分47.8秒 東経140度52分8.7秒)の駐車場を主会場とする北仙台商店会主催の夏祭りや、仙台浅草の通り上で2003年(平成15年)から開催されているフリーマーケットでは多くの来街者が訪れる。

2018年公開の映画『祈りの幕が下りる時』のロケ地としても知られる。

歴史

1937年(昭和12年)、仙台市電北仙台線の開通に伴い、仙台鉄道通町駅 - 北仙台駅間が廃止になって北仙台駅(北緯38度16分49秒 東経140度52分12.4秒)が始発になった。すると、廃線跡に材木商店が開業した。

1950年(昭和25年)の風水害で仙台鉄道は不通になり、そのまま北仙台駅 - 加美中新田駅間が廃止になった。仙台鉄道の北仙台駅跡地はのちに宮城交通本社と北仙台ターミナルとなった。

一方、材木商は戦後に廃業してしまうが、その跡地に1958年(昭和33年)、日用品の市場の「北仙台駅前交易センター」が開業。形成された横丁は、東京浅草にあやかりたいとの願いから「仙台浅草」と呼ばれるようになった[2]

1969年(昭和44年)4月、仙台市電北仙台線が廃止。1970年(昭和45年)2月には住居表示が実施され、仙台浅草を含む国道4号(現・県道仙台泉線)沿い北側一帯の住所が「仙台市荒巻字木蔵前」(きぐらまえ)から、国道4号沿い南側も含めて「仙台市昭和町」になった[3][4]。この頃から仙台浅草では、居酒屋スナックといった夕方から営業する店が出始めた[5]

2003年(平成15年)に宮城交通本社が移転、北仙台ターミナルも廃止となり、跡地には2006年(平成18年)2月にライオンズタワー仙台青葉が竣工した。2008年(平成20年)のリーマン・ショック後の仙台浅草の状況は、昼間に営業する店が数軒にまで減少し、夕方以降営業の飲食店ばかりになっていた[5]。また、店主も客層も高齢化し、約30店舗の内、1/3の約10店舗が空き店舗になるほど活気を失った[1]

2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の後、他地区において震災で被災したり、店舗が取り壊しになったりした若手店主が移ってきて出店が続き、空き店舗がほぼ解消した[1]。また、ダイニングバーもつ鍋屋、朝鮮料理屋などの出店により客層が若返り、週末を中心に活気を取り戻した[1][6][7]

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アクセス

脚注

関連項目

外部リンク

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