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伊勢貞衡
江戸時代の旗本。子に向井重興の妻のち窪田正良の妻、貞時、津金胤常の妻、金三郎、貞高 ウィキペディアから
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概要
初め豊臣秀頼に仕え、大坂の陣による大坂城落城の後、千姫の招聘により二条城に住む。その後、徳川家康が二条城を訪れた際に拝謁し、京都武者小路に宅地を与えられる。寛永14年(1637年)3月28日、従母・春日局の申し立てにより徳川家光に仕え、旗本寄合席に列する。寛永16年(1639年)9月21日、家光の長女・千代姫が徳川光友に嫁いだ際には、その儀式を担当した。その後、仰せにより、騎射三物(犬追物・笠懸・流鏑馬)などに関する家伝の書籍118巻を、息子・貞守や弟子と共に書写し、それを献じた。貞享2年(1685年)3月9日、徳川綱吉の長女・鶴姫が徳川綱教に嫁いだ際にも儀式を担当し、時服と黄金を賜った[2]。
脚注
関連項目
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