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伊崎良煕

日本の陸軍軍人 ウィキペディアから

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伊崎 良煕(良凞、いさき よしひろ、1852年嘉永4年12月[1]) - 1922年大正11年)8月[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]

経歴


のちの千葉県出身[1][2]。伊崎良広の長男[3]1877年(明治10年)12月、陸軍士官学校旧1期卒業[4]。在学中に西南戦争に従軍した[3]。卒業後は、近衛歩兵第4連隊大隊長として日清戦争に出征した[3]1895年(明治28年)9月、近衛歩兵第3連隊長に補され、翌年9月、歩兵第30連隊長に転じる[2]1898年(明治31年)10月、陸軍中央幼年学校校長となり、翌年12月、陸軍歩兵大佐に進んだ[2]1904年(明治37年)9月、陸軍少将に進み、同年10月、台湾守備混成第1旅団長となったが、日露戦争終戦間際の翌年7月、歩兵第32旅団長に転じ第4軍隷下となり満州に渡ったが、間もなく関東総督府隷下に編入された[1]1910年(明治43年)1月、後備役に編入した[1][2]

著作

  • 『悪戦十六時間』川流堂小林又七本店、1914年。

親族

脚注

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参考文献

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