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伊木正二
日本のエンジニア (1913-2010) ウィキペディアから
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伊木 正二(いき しょうじ、1913年4月6日[1] - 2010年12月3日[2])は、日本の鉱山学者(工学博士)。
来歴
1936年(昭和11年)に東京帝国大学工学部鉱山及冶金学科を卒業後、三菱鉱業(現・三菱マテリアル)に就職。
1941年(昭和16年)に東京帝国大学助教授となり、1954年(昭和29年)には東京大学教授に昇任。
1974年(昭和49年)4月に定年退官、東京大学名誉教授の称号を授与された。
石炭鉱山における安全工学が専門分野。中でも坑内温度・坑内粉塵制御用の通気管理技術の研究に携わった。
昭和30年以降の石炭産業関連の重大災害時には、政府の依頼で災害調査団長としての任務を数々遂行した[4]。
なお、功績を称えて、「伊木賞」(功績賞と奨励賞)という賞が設立(平成9年3月14日)されている。
バレーボール
旧制第八高等学校在校中および東京帝国大学在学中は、9人制バレーボールの選手(ポジションはバックセンター)。1958年(昭和33年)4月から1969年3月までは、東京大学運動会バレーボール部部長を務めた[5]。
1978年7月19日、日本バレーボール協会の第4代会長に選出され[5]、1989年まで会長を務めた。
主な役職
- 日本鉱業会会長[4]
- 日本工学会会長 (1984年 - 1987年)[4][6]
- 石炭技術研究所顧問[4]
- NEDO 石炭鉱業管理委員[4]
- 全国炭鉱技術会会長[4]
- 日本バレーボール協会会長(1978年 - 1989年)[2]
- 全日本大学バレーボール連盟名誉顧問[7]
賞詞
著書
- 石炭が採掘されるまで(1948年、公論社)
- 鉱山炭鉱保安実用便覧(1963年、産業図書)
- 最新鉱山保安技術テキスト(1962-1964年、白亜書房)
脚注
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