トップQs
タイムライン
チャット
視点

伊藤憲一

日本の国際政治学者 ウィキペディアから

Remove ads

伊藤 憲一(いとう けんいち、1938年3月7日 - 2022年3月14日)は、日本国際政治学者。専門は国際政治学、戦略論。公益財団法人日本国際フォーラム代表理事・会長[1]日本会議代表委員[2]NPO法人世界開発協力機構副総裁[3]青山学院大学名誉教授、カンボジア大学名誉博士。

概要 いとう けんいち 伊藤 憲一, 生誕 ...
Remove ads

人物

東京都出身。1960年に一橋大学法学部を卒業し外務省に入省。ハーバード大学留学等のあと、在モスクワマニラワシントン日本大使館書記官、南東アジア一課長などを歴任し、1977年に外務省を退官した。

外務省退官後は新自由クラブの一員となる一方[4]1980年から2006年まで[5]青山学院大学に助教授・教授として在籍するかたわら、1980年から1987年までジョージタウン大学戦略国際問題研究所(CSIS) 東京代表を務めた[6][7]。また、新自由クラブ時代の縁で、大来佐武郎の公益財団法人日本国際フォーラムの設立に参画した[7]

自ら副総裁を務めるNPO法人世界開発協力機構(総裁は深見東州)が主催する「世界オピニオンリーダーズサミット」を日本国際フォーラムとして後援し、第1回から第3回目までの同サミットにパネリストとして出席した[8][9][10]

Remove ads

略歴

Remove ads

著作等

単著

  • 『アメリカは甦るか――現代アメリカ政治外交論』(合同出版、1980年)
  • 『ソ連は強いものには手を出さない――日本が強者であるための国際戦略』(ごま書房ゴマセレクト、1982年)
  • 『国家と戦略』(中央公論社、1985年)
  • 『世界が日本の将来に蒼ざめる理由――歴史の流れを読む』(光文社カッパ・ビジネス、1986年)
  • 『大国と戦略』(文春ネスコ、1988年)
  • 『日本の大戦略』(飛鳥新社、1990年)
  • 『「二つの衝撃」と日本――「勝者なき平和」の「新世界秩序」を求めて』(PHP研究所、1991年)
    「消極的平和主義と積極的平和主義について」の節で、日本が積極的平和主義に転換するべきという主張をしている。
  • 『地平線を超えて――インターナショナル・ナショナリストの視点から』(三田出版会、1993年)
  • 『21世紀世界への道案内――25の視座から変わりゆく世界を透視する』(三田出版会、1995年)
  • 『超近代の衝撃――21世紀世界の力と論理』(東洋経済新報社、1995年)
  • 『歴史を読み解く――「ポスト戦争時代」としての現代』(モラロジー研究所、2003年)、ブックレット
  • 『新・戦争論――積極的平和主義への提言』(新潮新書、2007年)

訳書

  • (ジョージタウン戦略研究所編)『ソビエト・マニュアル 上下』(PHP研究所、1984-1985年)
  • ズビグネフ・ブレジンスキー)『大いなる失敗――20世紀における共産主義の誕生と終焉』(飛鳥新社、1990年)
  • (ヒュー・ディ・サンティス)『進歩を超えて――相互主義論序説』(文藝春秋、1997年)

監修書

  • (日本国際フォーラム)『日本のアイデンティティ――西洋でも東洋でもない日本』(フォレスト出版、1999年)
  • (日本国際フォーラム)『21世紀日本の大戦略――島国から海洋国家へ』(フォレスト出版、2000年)
  • (日本国際フォーラム)『現代予防外交論――冷戦後世界のキーワード』(フォレスト出版、2000年)
  • (日本国際フォーラム)『海洋国家日本の構想――世界秩序と地域秩序』(フォレスト出版、2001年)
  • 田中明彦)『東アジア共同体と日本の針路』(日本放送出版協会、2005年)
  • (東アジア共同体評議会)『東アジア共同体白書2010』(たちばな出版、2010年)

論考

  • 「米国主導世界秩序の戦略論的考察」(年報戦略研究1<戦略とは何か>、戦略研究学会、芙蓉書房出版、2003年12月)

メディア出演

関連項目

出典

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads