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伊蘇志東人

奈良時代の貴族・儒学者。富持古-楢原久等耳-伊加支-長吉古-押根-田狭-夜布多-道足-楢原鷲取(外従八位下)-伊蘇志東人。正五位下・大学頭 ウィキペディアから

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伊蘇志 東人(いそし の あづまひと)は、奈良時代貴族儒学者氏姓は楢原のち伊蘇志(勤)官位正五位下大学頭

概要 凡例伊蘇志 東人, 時代 ...

経歴

聖武朝後半の天平17年(745年従五位下に叙せられ、翌天平18年(746年)内位の従五位下となる。天平19年(747年駿河守に任ぜられるが、任期中の天平勝宝2年(750年)同国の庵原郡多胡浦浜(現在の静岡市清水区)でを採取して、練金1分と沙金1分を朝廷に献上したことから、3月に東人が5月に親族34人が楢原造から勤(伊蘇志)臣に改姓され、12月には東人が従五位上に昇叙されている[1]

のち、大学頭兼博士を務め、孝謙朝末の天平勝宝9歳(757年)正五位下に至る。

人物

九経に幅広く精通し、名儒と呼ばれた。

官歴

注記のないものは『続日本紀』による。

脚注

参考文献

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