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伊達村氏
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伊達 村氏(だて むらうじ)は、江戸時代の仙台藩一門第二席・亘理伊達家第10代当主。
生涯
明和2年(1765年)10月15日、亘理伊達家第8代当主・伊達村純の子として生まれる。幼名は兵力。
安永5年(1767年)1月3日、仙台大火で上屋敷を焼失。安永6年(1768年)3月31日、仙台城で元服し、藩主重村の偏諱を受けて、村氏と名乗る。[1]
明和4年(1767年)2月、病弱の父村純が隠居し、嫡男の兵力がまだ幼いことから村純の弟の村好が家督相続した。
安永2年(1773年)10月18日、叔父で養父の第9代当主・村好が「葛西川島事件」による藩政混乱の責めを負い隠居することとなり、9歳で家督を相続して亘理邑主となる。[1]
寛政8年(1796年)7月、藩主伊達斉村の急死により、生まれて6ヶ月の周宗が藩主となる。同年11月1日、幕府より、幼い藩主に代わり藩内の警護を藩主一門の村氏、涌谷伊達村常、登米伊達村幸が交代で行うよう命じられた。
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参考文献
- 『宮城県通史』
- 『仙台人名大辞書』
- 『亘理町史』
脚注
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