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佐川和夫

日本の特撮監督 ウィキペディアから

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佐川 和夫(さがわ かずお、1939年10月29日[1] - )は、日本特撮監督

概要 さがわ かずお 佐川 和夫, 生年月日 ...

略歴

日本大学藝術学部在学中に円谷特技研究所に出入りし、特撮を研究するため円谷英二に師事し、東宝映画の撮影現場で修業する[2][3][4]。卒業後東宝特殊技術課を経て、1963年に円谷特技プロダクションに設立と同時に入社[5][4]

ウルトラQ』で特撮班の撮影助手として始動、『ウルトラマン』で高野宏一が特技担当になったためキャメラマンに昇格し、『ウルトラセブン』でも特撮の撮影技師を務めた後、『マイティジャック』の第4話「祖国よ永遠なれ!!」で特技監督デビュー[6][3][4]。『帰ってきたウルトラマン』の第13話「津波怪獣の恐怖 東京大ピンチ!」で初めてウルトラシリーズの特撮監督を務めた。

その後、様々な円谷作品に関わった後、1977年にフリー[5][3][注釈 1]

1979年の『バトルフィーバーJ』で東映特撮作品にも参加。1980年に特撮研究所に籍を置き[5][注釈 2]、以降は1996年の『超光戦士シャンゼリオン』までは特撮研究所が担当する作品が中心となった。

1982年にデン・フィルム・エフェクトに在籍、1985年に再びフリーとなった[5]

1993年の『電光超人グリッドマン』で円谷作品に復帰。その4年後の『ウルトラマンティガ』第47話「闇にさようなら」で『ウルトラマン80』第50話「あっ! キリンも象も氷になった!!」以来16年ぶりとなるウルトラシリーズの特技監督を務めた。その後『ウルトラマンダイナ』『ウルトラマンガイア』『ウルトラマンコスモス』の特撮監督を担当した。2002年に特撮監督としての仕事を引退したため、『ウルトラマンコスモス』の第65話「真の勇者」を最後に演出作品はなく、現在は時折、特撮関係のムックでインタビューに答えている様子も見られる。

光学撮影技師の中野稔[5]、監督の東條昭平[7][8]坂本太郎とは日芸で同期だった。また、香港のプロデューサーである蔡瀾とは日芸時代の友人であり、その縁で香港映画の特撮を手掛ける[5]

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作風

ダイナミックなメカ描写を得意とし、「飛びの佐川」とも呼ばれた[2]。またカメラマンであった経験からカメラやフィルムに精通しており、『マイティジャック』でのハイスピードカメラによる撮影や『スターウルフ』でのネガフィルムの反転を応用した半ダブラシ合成などでそのノウハウが活かされている[9]。他の演出家なら妥協するような場合でも良しとせず突き詰める性格であるため[9]、テレビシリーズの初期数話でワンクール分の特撮費用を使いきってしまうことや[10]、テレビ局への納品がギリギリになることもあったという[11]

主な特技監督作品

テレビ

映画

撮影参加作品

監督作品

出演

  • ウルトラ情報局(『ウルトラマン』編、『ウルトラマンA』編)
  • DVD『マイティジャック』Vol.3(第7話「月を見るな!」音声特典オーディオコメンタリー)

脚注

参考文献

関連項目

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