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佐野敏一

日本のサッカー審判員 (1940-2000) ウィキペディアから

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佐野 敏一 (さの としかず、1940年11月10日[1] - 2000年10月11日[2])は、サッカー国際審判員

来歴

茨城県日立市出身[1][3]。日立市役所サッカー部に在籍しながら1974年の茨城国体に向け1級審判員を取得[3](1級登録は1983年12月[1] と名鑑には記されている)。日本サッカーリーグ (JSL) では1977年シーズンから1989/90年シーズンにかけて[4] 最多となる85試合出場を記録したほか天皇杯高校選手権決勝の主審を担当した[3]

国際審判員としては1984年8月3日に行われたロサンゼルスオリンピック男子サッカーグループB・イラクユーゴスラビア戦の主審を務めた[5] ほか、1982年[6]1986年[7]1990年[8]FIFAワールドカップ・アジア予選、および1981年[9]1987年[10]FIFAワールドユース選手権大会の主審を務めた。

1991年にFIFA審判特別功労賞を受賞している。2000年10月11日、肺炎のため死去[2]

出典

関連項目

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