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1982 FIFAワールドカップ・アジア・オセアニア予選
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1982 FIFAワールドカップアジア・オセアニア予選は、アジア・オセアニア地区で行われた1982 FIFAワールドカップ・予選である。アジアサッカー連盟とオセアニアサッカー連盟より21チームが参加して行われる予定だったが、サッカーイラン代表は抽選が行われる前に参加を辞退した[1]。アジア・オセアニア地区の本大会への出場枠は2。
予選は2つのラウンドに分かれている。
- 1次予選: 参加20チームは4つのグループに分かれる。各グループのレギュレーションは以下のとおり。
- グループ1 5チームが参加。ホームアンドアウェー形式で行われる。グループ1位が最終予選進出。
- グループ2 5チームが参加。サウジアラビアにおいて1回戦総当り制で行われた。グループ1位が最終予選進出。
- グループ3 4チームが参加。クウェートにおいて1回戦総当り制で行われた。グループ1位が最終予選進出。
- グループ4 6チームが参加。香港において1回戦総当り制で行われた。グループ内の対戦方式は以下のとおり。
- 予備予選: 参加6チームの組み分けのため、2チームずつ3組に分かれてそれぞれ1試合を行う。この試合結果に基づいてグループ分けが行われる。
- グループステージ: 参加6チームは3チームずつ2グループに分かれラウンドロビン方式で対戦。各グループ上位2チームが準決勝進出。
- 準決勝: グループAの勝者はグループBの2位と、グループBの勝者はグループAの2位と対戦。それぞれの試合の勝者が決勝に進出。
- 決勝: 準決勝の勝者同士が1試合で勝敗を決定する。勝者が最終予選進出。
- 最終予選: 1次予選各グループの勝者4チームがホームアンドアウェー方式で対戦。上位2チームが本大会出場権を獲得。
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1次予選
要約
視点
グループ1
| 1981年4月25日 | ニュージーランド |
3 – 3 | オークランド | ||
| グラント・ターナー スティーヴ・ウッディン スティーヴ・サムナー |
Krncevic Boden |
主審: |
| 1981年5月3日 | フィジー |
0 – 4 | スバ | ||
| ブライアン・ターナー スティーヴ・サムナー |
主審: |
| 1981年5月7日 | チャイニーズタイペイ |
0 – 0 | 台北 | ||
| 主審: |
| 1981年5月30日 | ニュージーランド |
2 – 0 | オークランド | ||
| スティーヴ・ウッディン グラント・ターナー |
主審: |
| 1981年6月6日 | フィジー |
2 – 1 | スバ | ||
| 主審: |
| 1981年6月10日 | オーストラリア |
3 – 2 | アデレード | ||
| Henderson Kosmina Byrne |
Deng Chyan |
主審: |
| 1981年6月15日 | インドネシア |
1 – 0 | ジャカルタ | ||
| Hadi Ismanto |
主審: |
| 1981年6月28日 | チャイニーズタイペイ |
2 – 0 | 台北 | ||
| Deng Chyan Jyn Tson |
主審: |
| 1981年8月4日 | チャイニーズタイペイ |
0 – 0 | 台北 | ||
| 主審: |
| 1981年8月10日 | インドネシア |
3 – 3 | ジャカルタ | ||
| Budi Johannis Upendran Choy Risdianto |
Jone Ratu Meli Vuilabasa John Morris Williams |
主審: |
| 1981年8月14日 | オーストラリア |
10 – 0 | メルボルン | ||
| デヴィッド・ミッチェル ガリー・コール |
主審: |
| 1981年8月16日 | ニュージーランド |
13 – 0 | オークランド | ||
| スティーヴ・サムナー ブライアン・ターナー グラント・ターナー ダンカン・コール キース・マッケイ スティーヴ・ウッディン |
主審: |
| 1981年9月6日 | チャイニーズタイペイ |
0 – 0 | 台北 | ||
| 主審: |
ニュージーランドが最終予選進出。
グループ2
サウジアラビアが最終予選に進出。
グループ3
クウェートが最終予選に進出。
グループ4
予備予選
結果に従い、中国、日本、マカオがグループAに、香港、北朝鮮、シンガポールがグループBに振り分けられた。
グループA
中国と日本が準決勝に進出。
グループB
北朝鮮と香港が準決勝に進出。
準決勝
北朝鮮が決勝に進出。
中国が決勝に進出。
決勝
中国が最終予選に進出。
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最終予選
| 1981年10月3日 | ニュージーランド |
1 – 0 | オークランド | ||
| リッキー・ハーバート |
主審: |
| 1981年10月10日 | ニュージーランド |
1 – 2 | オークランド | ||
| スティーヴ・ウッディン |
Al-Dakheel J. Yacoub |
主審: |
| 1981年11月12日 | 中華人民共和国 |
4 – 2 | クアラルンプール | ||
| 左樹声 陳金剛 古広明 黄向東 |
Al-Nefayyia Majed Abdullah |
主審: |
| 1981年11月28日 | ニュージーランド |
2 – 2 | オークランド | ||
| リッキー・ハーバート ビリー・マクルアー |
Majed Abdullah |
主審: |
| 1981年12月14日 | クウェート |
2 – 2 | クウェート市 | ||
| Al-Hashash Kameel |
スティーヴ・サムナー ウィントン・ルーファー |
主審: |
| 1981年12月19日 | サウジアラビア |
0 – 5 | リヤド | ||
| ウィントン・ルーファー ブライアン・ターナー スティーヴ・ウッディン |
主審: |
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最終予選プレーオフ
中国とニュージーランドは勝ち点、得失点差で並んだため、中立地でのプレーオフが開催された。
| 1982年1月10日 | ニュージーランド |
2 – 1 | シンガポール | ||
| スティーヴ・ウッディン ウィントン・ルーファー |
黄向東 |
主審: |
クウェートとニュージーランドが本大会出場権を獲得した。
関連項目
脚注
外部リンク
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