トップQs
タイムライン
チャット
視点
佗美浩
ウィキペディアから
Remove ads
佗美 浩(たくみ ひろし、1891年5月2日 - 1970年12月25日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。太平洋戦争開戦直後のコタバル上陸作戦を指揮した。
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 |
略歴
- 1904年(明治37年)4月-松山中学入学
- 1905年(明治38年)9月-広島陸軍幼年学校入校
- 1912年(明治45年)5月-陸軍士官学校卒業(24期)
- 1915年(大正4年)-歩兵中尉
- 1922年(大正11年)-歩兵大尉
- 1925年(大正14年)-東京陸軍幼年学校副官
- 1926年(昭和元年)[元号要検証]-歩兵第22連隊中隊長
- 1929年(昭和4年)-歩兵少佐
- 1930年(昭和5年)-歩兵第23連隊大隊長
- 1934年(昭和9年)-歩兵中佐
- 1935年(昭和10年)-東京陸軍幼年学校生徒監
- 1937年(昭和12年)-仙台陸軍幼年学校訓育部長、陸軍大佐
- 1938年(昭和13年)-歩兵第88連隊長
- 1940年(昭和15年)-陸軍少将・歩兵第23旅団長としてビルマ作戦に参加。
- 1942年(昭和17年)-善通寺俘虜収容所所長
- 1944年(昭和19年)-予備役
- 1945年(昭和20年)-羅南陸軍兵事部長兼羅南地区司令官[1]
- 1950年(昭和25年)-シベリアから復員
Remove ads
栄典
著書
- 『コタバル敵前上陸』プレス東京、1968年
脚注
関連項目
参考文献
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads