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児玉恕忠

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児玉 恕忠(こだま じょちゅう、1849年8月22日(嘉永2年7月5日) - 1923年大正12年)11月29日[1])は、幕末長州藩士明治期の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。旧名・粟屋次郎作[2]。「如忠」と表記される場合がある[2]

経歴

長州藩士・粟屋三右衛門の二男として生まれる[3]戊辰戦争において東北などに出征した[2]

明治維新後、陸軍に仕官し、1871年9月28日(明治4年8月14日)、陸軍少尉に任官[4]1884年児玉少介の養子となる[5]

1896年10月、歩兵第23連隊長に就任[4]1898年2月2日、歩兵大佐に昇進し、同年3月、近衛歩兵第2連隊長に転じた[4]1903年7月2日、陸軍少将に進み歩兵第17旅団長に就任[1][4]

日露戦争に出征して、遼陽会戦沙河会戦奉天会戦に従軍し、激戦を戦いぬいた[1]1907年7月15日、陸軍中将に昇進と同時に後備役に編入された[1][4]

栄典

位階
勲章等
外国勲章佩用允許
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著作

  • 『宜蘭の木枯:戦闘詳報』児玉如忠、1896年。

脚注

参考文献

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