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八百屋町 (名古屋市)
名古屋市中区の地名 ウィキペディアから
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地理
江戸時代は名古屋城下町の碁盤割内の町人町であり、長者町筋の本重町筋から入江町筋までの3丁であった[4]。
学区
人口
国勢調査による人口の推移
1950年(昭和25年) | 89人[5] | |
1955年(昭和30年) | 181人[5] | |
1960年(昭和35年) | 182人[6] | |
1965年(昭和40年) | 126人[6] |
歴史
地名の由来
『尾張名陽図会』によると、当町に野菜商が多く居住していたことに由来するという[4]。
沿革
- 明治4年 - 一部が下長者町に編入され、また光明寺町を編入する[1]。
- 1878年(明治11年)12月20日 - 名古屋区成立に伴い、同区八百屋町となる[1]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 名古屋市成立に伴い、同市八百屋町となる[1]。
- 1901年(明治34年) - 服部謙三郎商店が焼失[7]。店は宮町1丁目に移り、再建される[7]。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 中区成立に伴い、同区八百屋町となる[1]。
- 1936年(昭和11年)1月1日 - 一部が広小路通に編入される[8]。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 栄区成立に伴い、同区八百屋町となる[1]。
- 1945年(昭和20年)11月3日 - 栄区廃止に伴い、中区八百屋町となる[1]。
- 1963年(昭和38年)3月20日 - 一部が白川町に編入される[9]。
- 1966年(昭和41年)3月30日 - 全域が栄二丁目に編入され、消滅[1]。
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施設
脚注
参考文献
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