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六角英通

昭和期の電気工学者、政治家、華族 ウィキペディアから

六角英通
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六角 英通(ろっかく ひでみち、1902年明治35年)5月19日[1] - 1987年昭和62年)12月19日[1][2])は、昭和期の電気工学[3]政治家華族貴族院子爵議員工学博士[1]

概要 生年月日, 出生地 ...

経歴

京都市[3]子爵六角玄通の長男として生まれる[1][4][5]1907年(明治40年)9月、父の死去に伴い家督を継承し、同年11月27日、子爵を襲爵した[1][4][5][6]

1924年(大正13年)学習院高等科を卒業し[5]1927年(昭和2年)東北帝国大学工学部電気学科を卒業[2][3][5]1930年(昭和5年)逓信省に入省し電気試験所技師に就任[2][5]東北大学講師、同教授などを経て、1963年(昭和38年)から1976年(昭和51年)まで相模工業大学(現湘南工科大学)学長を務めた[2][5][3]。その他、宮内省御用掛となった[2]

1946年(昭和21年)5月10日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[7][8]研究会に所属して活動し、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。同年の第1回参議院議員通常選挙全国区から立候補したが落選した[9]

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著作

  • 『異常電圧と送電系統の防護』修教社書院、1933年。
  • 高崎卓二郎、村上孝一との共著『発変電工学演習』学献社、1962年。

親族

  • 父:六角玄通(1870-1907)
  • 妻:為子(1877-1904)- 清岡長延の娘で清岡長言の妹[10]
  • 妻:照代 - 熊本製糸社長・長野関吉(長野濬平三男)の二女[1][11][12]
  • 妹:信子 - 六角玄通二女、明治36年生。子爵町尻量弘の養女となる(義兄に町尻量基)[13]

脚注

参考文献

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