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冀寧道
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冀寧道(きねい-どう)は中華民国北京政府により設置された山西省の道。
沿革
1913年(民国2年)3月に中路道として設置。観察使は陽曲県に設置され、下部に陽曲、太原、楡次、太谷、祁県、交城、文水、嵐県、興県、徐溝、岢嵐、汾陽、孝義、平遥、介休、石楼、臨県、中陽、離石、長治、長子、屯留、襄垣、潞城、平順、壷関、黎城、晋城、高平、陽城、陵川、沁水、遼県、和順、楡社、沁県、沁源、武郷、平定、昔陽、盂県、寿陽の43県を管轄した。1914年(民国3年)5月23日に観察使は道尹と改められた。1927年(民国16年)に廃止されている。
行政区画
廃止直前の下部行政区画は下記の通り。(50音順)
脚注
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