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内田正学

下総小見川藩の第10代藩主 ウィキペディアから

内田正学
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内田 正学(うちだ まさのり / まさあきら[1])は、下総小見川藩の第10代(最後)の藩主。小見川藩内田家13代。明治時代の政治家陸軍軍人子爵

概要 凡例内田正学, 時代 ...

生涯

弘化4年(1847年)11月3日、内田家分家で1500石を領する旗本内田正路の次男として生まれた。元治元年(1864年)に本家第9代藩主の正縄が早世したため、その養子として跡を継いだ。幕末期は佐幕派として芝増上寺の警護を務めていたが、慶応4年(1868年)の戊辰戦争では官軍に協力している。明治2年(1869年)6月24日の版籍奉還知藩事となり、明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県で免官された。

1877年(明治10年)の西南戦争では、東伏見宮嘉彰親王に従って三等中警部心得として参戦する。明治17年(1884年)7月8日、子爵を叙爵した[3]1892年(明治25年)には陸軍大尉となり、1894年(明治27年)の日清戦争では歩兵第2連隊副官として参戦した。1897年(明治30年)7月10日には貴族院議員となり[1][4]、1910年7月22日の死去まで在任した[1]。享年64。

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家族

父母

子女

  • 内田正吉(長男)
  • 内田寛治

脚注

参考文献

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