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内田隆 (秋田県知事)
日本の台湾総督府・内務官僚、実業家 ウィキペディアから
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内田 隆(うちだ たかし、1879年(明治12年)3月30日[1] - 1963年(昭和38年)7月11日[2])は、日本の台湾総督府・内務官僚、実業家。官選秋田県知事。旧姓・長田。
経歴
福島県出身[3][4]。長田庄衛の二男として生まれた[5]。福島県立安積中学校、宮城県立仙台第二中学校を経て、第二高等学校を卒業。1908年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。東洋拓殖を経て、1911年、朝鮮総督府に入り農商工部属となる。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内田家に夫婦養子となり改姓した[3][5]。
以後、青島守備軍民政部事務官、台湾総督府事務官、同殖産局長などを歴任[5]。
秋田県出身の川村竹治台湾総督に仕えたことがきっかけで、1931年12月、犬養内閣により秋田県知事に任じられた。前知事の人事整理案を実行した。齋藤内閣の成立により、1932年6月28日、知事を休職となる[6]。同年に退官[3]。以後、野村林業 (株) 専務取締役などを務めた。1942年、福岡県八幡市長に就任し、1945年に退任した[5]。
脚注
参考文献
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