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内藤頼直
日本の高遠藩の藩主 ウィキペディアから
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内藤 頼直(ないとう よりなお)は、幕末の大名。信濃高遠藩の第8代(最後)の藩主。高遠藩内藤家13代。
略歴
天保11年(1840年)、第7代藩主・内藤頼寧の七男として生まれる。兄・頼愛が早世したため世子となり、安政6年(1859年)に父の隠居により家督を相続すると、翌万延元年(1860年)、藩校進徳館を開闢した。
文久元年(1861年)の和宮下向の際にはその負担を務めた[1]。文久2年(1862年)の生麦事件では幕命により万一に備えて藩軍を動かした[2]。天狗党の乱では藩の要人が無難なく収めた[3]。また幕府の長州征伐にも参加している[4]。
慶応4年(1868年)の戊辰戦争では官軍につき、戦功で賞典金2000両を下賜されている。藩軍は北越・会津戦争に出動して西園寺公望を助けるなど活躍した[5]。明治2年(1869年)、版籍奉還で高遠藩知事となり、明治3年(1870年)に藩制を新たに定めている[6]。
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系譜
父母
- 内藤頼寧(父)
正室
子女
脚注
参考文献
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