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堤経長

明治から昭和期の宮内官。政治家 ウィキペディアから

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堤 経長(つつみ つねなが、1901年明治34年)5月30日 - 1992年平成4年)1月16日[1])は、日本の子爵堤家の第15代当主。東京帝国大学法学部卒業。東京都出身。伯母は明治天皇典侍大正天皇の生母である柳原愛子

概要 つつみ つねなが 堤 経長, 生誕 ...

経歴

東京都出身。子爵堤雄長とその妻である柳原浜の長男として生まれる。母である浜の姉が明治天皇権典侍柳原愛子で、大正天皇の従弟に当たる。1940年昭和15年)から1947年(昭和22年)まで子爵であった。[2]

1914年(大正3年)から1921年(大正10年)宮内省東宮職出士。東京帝国大学農学部、法学部を卒業し、鉄道局参事、仙台鉄道局職員、運輸省鉄道総局食糧増産本部次長、興亞火災海上保険(現、日本興亜損害保険)取締役、東海開発社長、歌会始読師、霞会館評議員、監事などを歴任した。

私生活では子爵・内藤頼輔の長女である要子と結婚するも死別。その後、鍵和田良平の娘である貴代と再婚し2男を授かる[3]

1992年平成4年)、死去。従四位勲三等を授かる。

系譜

脚注

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