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分離派建築会
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分離派建築会(ぶんりはけんちくかい)は1920年(大正9年)に東京帝国大学(現東京大学)工学部建築学科を卒業した6人が結成したグループ。その活動は日本で初めての近代建築運動とされる[1]。彼らは自分達の理想の建築像を、百貨店等での展覧会[2][3]と出版物によって、一般に開いて主張した。
概要
当初のメンバーは、1920年7月に建築学科を卒業した同期16人中、石本喜久治、瀧澤眞弓[4]、堀口捨己[5]、森田慶一、山田守、矢田茂の6人である。当時の建築学科では佐野利器が中心となり、耐震構造など建築の工学面を強調していた[6] [7]。また、同学科を5年前に卒業した野田俊彦が「建築非芸術論」を発表し、建築は芸術ではないと主張していた[8][9][10][11][12]。こうした工学偏重の動きに対して、建築の芸術性を主張したものであった[13][14][15]。「分離派」という名称は、伊東忠太の建築史講義でウィーン分離派の話を聞いて感激したことから名付けたという[16]
卒業の月(1920年7月)に日本橋の白木屋で第1回作品展[2]を開くにつき、作品集を岩波書店[17]から自費出版し、そこに次の宣言を掲げた。(原文ママ、読み仮名を追加。)
宣言
- 我々は起(た)つ。
- 過去建築圏より分離し、総て(すべて)の建築をして真に意義あらしめる新建築圏を創造せんがために。
- 我々は起つ。
- 過去建築圏内に眠つて居る総てのものを目覚さんために溺れ(おぼれ)つつある総てのものを救はん(すくわん)がために。
- 我々は起つ。
- 我々の此(この)理想の実現のためには我々の総てのものを悦び(よろこび)の中に献げ、倒るるまで、死にまでを期して。
- 我々一同、右を世界に向つて宣言する[18]。
後に逓信省営繕課にいた山口文象(岡村蚊象)、早稲田大学選科生の蔵田周忠(濱岡周忠)、1学年下の大内秀一郎が加入した。分離派建築会としての活動[3]は1928年の第7回展まで続き[4][19]、大阪でも2回の展覧会を開催した。山口は関東大震災後の1923年11月、逓信省の有志と創宇社建築会を起し、近代建築のこの流れを継承した。
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著作物
- 分離派建築会『分離派建築會宣言と作品』岩波書店、1920年。 NCID BB06160769。
- 分離派建築会、関西分離派建築会、森仁史、菊地潤『分離派建築会 : 宣言と作品 』森仁史(監修)「分離派建築会の作品 : 第二刊」「分離派建築会の作品 : 第三刊」ゆまに書房〈叢書・近代日本のデザイン25〉、2009年。ISBN 9784843330579。NCID BA90122745。
- 分離派建築会、関西分離派建築会『分離派建築会の作品』岩波書店、1921年。NCID BA43225312。
- 「分離派建築会第三回展覧会」『建築雑誌』第446号、日本建築学会、1923年8月、385頁、NAID 200000122576。
- 石本喜久治、分離派建築会『建築譜』分離派建築会、1924年。NCID BN15148962。
- 分離派建築会、堀口捨巳『紫烟荘図集』洪洋社、1927年。NCID BA58780146。
- 佐野利器、堀口捨巳、分離派建築会、内田青蔵、林美佐『住宅論 . 紫烟荘図集 . 住宅双鐘居』森仁史(監修)、ゆまに書房〈叢書・近代日本のデザイン56〉、2013年。ISBN 9784843343050。NCID BB1390978X。
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展覧会
分離派建築会が主催して開催した展覧会を、以下に開催日順に列挙する。
習作展
1920(大正9)年2月1日 帝国大学第二学生控所
第1回作品展
1920(大正9)年7月18日~22日 東京・白木屋。同展覧会にあわせて7月18日に、『分離派建築会 宣言と作品』(1920年、岩波書店)を発刊。
第2回作品展
1921(大正10)年10月20日~24日 東京・白木屋。同展覧会にあわせて10月20日に、『分離派建築会 第二』(1921年、岩波書店)を発刊。
第1回関西展覧会(石本渡欧送別会)
1922(大正11)年5月5日~7日 京都・髙島屋
第3回作品展(堀口・大内渡欧送別会)
1923(大正12)年6月30日~7月5日 東京・星製薬楼上
第2回関西展覧会
1924(大正13)年5月 大阪・三越
第4回作品展
1924(大正13)年11月1日~7日 東京・松屋。同展覧会後に12月15日、『分離派建築会 第三』(1924年、岩波書店)を刊行。
第5回作品展
1926(大正15)年1月27日~31日 東京・白木屋。同展覧会の記録が、「第5回展覧会作品号」『建築新潮』(1926年 第3号)として刊行されている。
第6回作品展
1927(昭和2)年1月22日~26日 東京・白木屋。同展覧会の記録が、「第6回展覧会作品号」『建築新潮』(1927年 第3号)として刊行されている。
第7回作品展
1928(昭和3)年9月16日~20日 東京・三越。同展覧会の記録が、「第7回展覧会作品号」『建築新潮』(1928年 第11号)として刊行されている。
出典
参考文献
関連文献
関連項目
外部リンク
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