トップQs
タイムライン
チャット
視点
加藤憲一
ウィキペディアから
Remove ads
加藤 憲一(かとう けんいち、1964年〈昭和39年〉5月11日[1] - )は、日本の政治家。神奈川県小田原市長(4期)。
来歴
0才で父親を、中学二年で母親を、共に病気で亡くしている。
私立小田原愛児園卒園。小田原市立芦子小学校、小田原市立城山中学校、神奈川県立小田原高等学校卒業。
1988年(昭和63年)3月、京都大学法学部卒業(ゼミは比較政治学[2])。同年、経営戦略コンサルティング会社に就職。1996年(平成8年)、自給自足を目指して独立。小田原市内にて林業、漁業、農業などを手がける[2]。
2004年(平成16年)5月16日執行の小田原市長選挙に無所属で立候補するも、現職の小澤良明に敗れ、落選。
2008年(平成20年)5月18日執行の小田原市長選挙に無所属で立候補し、城下町ホール(現在建築中の市民ホール)の計画変更を訴えて初当選[3]。投票率は53.93%。2012年(平成24年)5月の選挙で2期目の当選を果たす。投票率は41.87%。
2016年(平成28年)の小田原市長選挙では対立候補が現れず、無投票で3期目の当選を果たした。小田原市長選の無投票は59年ぶりであった[4]。
2020年(令和2年)5月17日執行の小田原市長選へ4選を目指して、労働組合の小田原・足柄地域連合から推薦を受け立候補したが[5][6]したが、自民党推薦の元県議の守屋輝彦に544票差で敗れ、落選した[7][8]。 ※当日有権者数:159,323人 最終投票率:46.79%(前回比:+4.92pts)
2023年(令和5年)11月18日、小田原駅東口付近の北條ポケットパークで、2024年5月19日執行の小田原市長選挙に無所属で立候補することを宣言した。約300人の聴衆の前で、「市政をまっとうな方向に戻す」などと述べた[9]。同選挙には現職の守屋輝彦市長も出馬を表明[10]。
2024年(令和6年)5月19日投票の小田原市長選挙では、自由民主党、日本維新の会、国民民主党、連合神奈川、小田原・足柄地域連合の推薦を得た現職の守屋らを大差で破り、4年ぶりに市長に復帰した[11]。
※当日有権者数:157,448人 最終投票率:48.17%(前回比:1.38pts)
Remove ads
市政
全国に先駆ける未来の構想に関する市政
「SDGs未来都市」と「自治体SDGsモデル事業」
「地域循環共生圏」モデル都市の認定
人々のいのちや安全に関係する市政
おだわら総合医療福祉会館の建設
「ケアタウン構想」
地域包括支援センターを12ヶ所に拡大
- 2017年4月に、各地(新玉、山王網一色、足柄、富水、桜井、豊川、上府中)の需要に応えるために4ヶ所増やし12ヶ所となった[21]。
市民病院再整備の基本計画策定
すべての小中学校にエアコンを設置
住民の自治に関係する市政
自治基本条例の制定
市民ホールの建設
- 2008年の市長就任以降、城下町ホールから転換し駅前の市民ホール整備を訴えてきた。しかし市民ホールを整備する際、実施設計図書に基づき、施設を整備することができなかった。そのため、数回に渡って、予算等の修正を行うことになった。市は当初、市は2017年度当初予算案にホール整備事業として3667万円を計上。また3月定例会に、ホール整備に必要な経費に充てる基金を設置するための条例案を提出、16年度一般会計補正予算案に基金に積み立てる10億円を計上することになった[29]。また、当初のオープン時期は、2017年秋であったが、2021年秋まで変更になった[30][31]。これは基本構想の段階から延べ約3千人という多くの市民の声を反映させたためだった[32]。
- 2019年12月小田原市定例議会で杉山三郎議員は、約35億円の損失と述べている[33]。しかし、この金額の多くは用地取得費や文化財調査費など、計画の見直し後の工事でも確実にかかる経費が大半を占めているため正確ではない[34]。実際に経費は城下町ホールの基本設計・実施設計費は約1億6千万円、芸術文化創造センターは約2億円にすぎず、35億円という間違った数字が一人歩きしている[35]。
財政の健全化
その他
Remove ads
人物・エピソード
- 日本共産党支持団体へのメッセージ
- 2009年5月、加藤が市長時代に日本共産党を支持する政治運動団体である「革新懇」の地域支部の総会にメッセージを送ったことが日本共産党の機関紙であるしんぶん赤旗にて紹介されている[40]。
- 小田原革新懇主催の加藤講演会
- 小田原革新懇主催で「「育てる」日々からの眺め~市長退任後の活動・地域の未来~」というタイトルで加藤の講演会が開催された。講演会の告知ではカンパも募っている。小田原革新懇のウェブサイト上では、「小田原が恥ずかしい」というタイトルとともに、加藤がFacebookで「市内の子どもたちが「小田原が恥ずかしい」と言っていた」という発言が紹介された[41]。
脚注
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads