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加藤明軌
近江水口藩の第10代藩主 ウィキペディアから
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加藤 明軌(かとう あきのり)は、近江水口藩の第10代藩主。水口藩加藤家12代。書や俳句に優れた文化人だったといわれる。
生涯
文政11年(1828年)1月23日、第9代藩主・加藤明邦の次男として江戸で生まれる。弘化元年(1844年)10月1日、将軍徳川家慶に拝謁する。同年12月16日、従五位下・和泉守に叙位・任官する。弘化2年(1845年)2月5日の父の隠居により家督を継いで第10代藩主となり、3月20日に越中守に遷任する。 弘化4年4月2日、日光祭礼奉行を命じられる。嘉永2年(1849年)2月3日、大坂加番を命じられる。
藩政では歴代藩主時代の財政難に加え、嘉永6年(1853年)5月には旱魃が起こるなどしたため、櫨の植樹政策などを行なっている。幕末期においては文久元年(1861年)の和宮警護、文久3年(1863年)の伏見警備、元治元年(1864年)の禁門の変における京都警護などに務めている。慶応2年(1866年)2月29日、家督を弟で養子の加藤明実に譲って隠居する。
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系譜
父母
- 加藤明邦(父)
- 宮 ー 側室(母)
正室
- 泰 ー 松平直寛の娘
側室
- 美津
子女
- 小笠原貞規(次男) ー 小笠原貞正の養子、生母は側室
- 加藤明俊、生母は側室
養子
- 加藤明実 ー 実弟
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