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北原信綱
日本の政治家 ウィキペディアから
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北原 信綱(きたはら のぶつな、嘉永2年9月[1](1849年) - 明治34年(1901年)11月4日[1])は、日本の政治家(衆議院議員、長野県会議員)。初名は森太郎、通称は東五郎、諱は信允。
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来歴
信濃国伊那郡座光寺村(現長野県飯田市)の庄屋北原稲雄の長男に生まれる。父に倣い、平田篤胤の没後門人となる。明治元年(1868年)の戊辰戦争では鎮撫副総督澤為量に従軍して奥羽地方を転戦した。翌年帰郷し、官軍から太刀一振りと金若干を賜り、信濃飯田藩主堀親広から士族に列せられた。同6年(1873年)村戸長、学校学事掛となり、同9年(1876年)名古屋裁判所に出仕し、翌年(1877年)山梨県属となったが、辞職し帰郷した。
同17年(1884年)長野県会議員となり、同21年(1888年)に同常置委員、のち副議長を務めた。同27年(1894年)第4回衆議院議員総選挙に出馬し当選した。
親族
脚注
出典
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