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北条時直

鎌倉時代中期から末期の武士 ウィキペディアから

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北条 時直(ほうじょう ときなお)は、鎌倉時代中期から末期の北条氏の一門で武将北条実時の子、または北条政顕の子[1]北条実村の子[2]とも。長門探題金沢 時直(かねさわ ときなお)とも。

概要 凡例北条時直/金沢時直, 時代 ...

生涯

永仁3年(1295年)から文保元年(1317年)まで上野介、大隅守護を務めた。永仁5年(1297年)、鎮西評定衆に任命され、鎮西探題となった兄弟(または祖父もしくは叔父)の北条実政とともに西国へ下り、これを補佐する。元亨3年(1323年)、周防・長門の守護に任命され、長門探題となる[3][4]

元弘3年/正慶2年(1333年)閏2月11日、及び3月12日に祝安親土居通増得能通綱忽那重清らが後醍醐天皇に呼応して倒幕の挙兵をすると、これを鎮圧するために伊予へ進軍するが、石井浜・星岡で相次いで敗れ[3]長門まで後退する。さらに、山陰から宮方に長門を攻められたが、援軍の到着もあって撃退することに成功する。

5月、厚東・由利・高津などの討幕軍に攻められて瀬戸内海に逃れる。そして海上で六波羅探題、鎮西探題、鎌倉幕府が相次いで宮方の攻撃によって滅び孤立無援となった。このため5月26日、朝廷方の少弐貞経に降伏し、罪を許されて本領を安堵された。しかし程なく没した。死因は病死であったという[3]

子の北条上野四郎は時直の死の2年後に反乱を起こすが、鎮圧されて殺された。

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脚注

参考文献

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