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北条氏時
日本の戦国時代の武将。戦国大名伊勢盛時(北条早雲)の次男と伝わり、玉縄北条家初代当主。相模玉縄城主を勤めた ウィキペディアから
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北条 氏時(ほうじょう うじとき)は、戦国時代の武将。伊勢盛時(北条早雲)の子。初代玉縄城主。
生涯
伊豆国・相模国の戦国大名・伊勢盛時(北条早雲)の子として誕生した。生年は不明であるが、嫡男・北条氏綱と同腹の次男と推定されており[2]、氏綱(1487年)から四弟・長綱(幻庵・1493年、一説に1501年)までの間ということになる。
氏時に関する史料は極めて少ない[3]。享禄2年(1529年)5月15日付で伊豆国の三島大社護摩堂に宛てたものが初見文書であり、伊豆郡代または韮山城主であったと考えられる[2]。次の文書は同年8月19日付の相模国東郡二伝寺(藤沢市)宛てのもので、この時には玉縄城主になっていたことになる[2]。
大永6年(1526年)、安房国の里見義豊が相模国鎌倉に乱入してきた際、戸部川で迎撃したとされている[4]。なお、戦後両陣営で首を交換し、それを埋め弔うために建てた供養塔(玉縄首塚)が残っており、供養は現在も「玉縄史蹟まつり」として毎年継承されている(鶴岡八幡宮の戦い)。
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備考
歌舞伎演目『本朝廿四孝』に「足利将軍義晴の頃、信濃村上義清と組んで行動する"小田原の太守北条氏時"」なる登場人物があるが、これは本記事の人物とも他の同名人物とも関係なく、実在しない。
脚注
参考文献
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