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千葉医科大学 (旧制)
官立の旧制大学 ウィキペディアから
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千葉医科大学 (ちばいかだいがく) は、1923年 (大正12年) 4月に設立された旧制官立大学。略称は千葉医大。

本項は、旧制第一高等学校医学部・旧制千葉医学専門学校 (千葉医専) などの前身諸校を含めて記述する。
概要
- 1874年 (明治7年) に設立された共立病院を源流とする。
- 1882年、公立千葉病院医学教場が県立千葉医学校となり、1887年、官立第一高等中学校医学部となった。
- 1901年、第一高等学校から千葉医学専門学校として独立した。
- 大正期の高等教育機関拡充政策により、20世紀初頭に設立された他の官立医学専門学校4校と同時期に医科大学に昇格し、千葉医科大学となった (他の4校は、新潟・岡山・金沢・長崎)。この経緯から、後身校 千葉大学医学部は旧六医科大学の一つに数えられている。
- 医学部のほか、附属薬学専門部・臨時附属医学専門部を設置した。
- 第二次世界大戦後の学制改革で、千葉大学医学部・同附属病院・薬学部の母体となった。
- 同窓会は 「千葉大学医学部ゐのはな同窓会」 と称し、旧制・新制合同の会である。附属薬学専門部・新制千葉大学薬学部の同窓会は 「千葉大学薬友会」 である。
沿革
要約
視点
県立時代
第一高等中学校医学部時代
官立第一高等中学校への医学部設置にあたっては、東日本各地で誘致運動が繰り広げられた。中でも有力視されていたのは名古屋であったが、千葉医学校 長尾精一校長・千葉県 船越衛知事の熱心な誘致活動により、第一高等中学校医学部の千葉への設置が決定した。
第一高等学校医学部時代
千葉医学専門学校時代

千葉医科大学時代

- 1923年4月1日: 官立医科大学官制改正により千葉医科大学設置 (勅令第93号)。
- 1925年3月: 附属医学専門部、廃止[2]。
- 1926年3月: 薬学専門部規程制定。
- 1929年10月: 千葉医科大学同窓会発足。
- 1936年3月: 新附属医院竣工 (現・千葉大学医学部本館)。
- 1939年5月: 臨時附属医学専門部 (4年制、中学卒対象) を設置。
- 主事 (1944年から部長) は学長が兼任。
- 1940年7月: 医大同窓会と医専同窓会 (全国ゐのはな会) が合同。
- 「千葉医科大学ゐのはな同窓会」 と改称 (現・千葉大学医学部ゐのはな同窓会)。
- 1941年12月: 戦時措置による第1回繰上卒業。
- 1944年2月: 学部、3年制に短縮。
- 1944年4月: 臨時附属医学専門部を附属医学専門部と改称。
- 1945年4月: 附属医院に厚生女学部を設置。
- 初代主事: 岩津俊衛。
- 1945年6月: 医学専門部第1・2学年を長野県下伊那郡大下条村(現・阿南町)・下條村に疎開。

- 1945年7月7日: 千葉空襲で教室2616坪、附属医院旧棟を焼失。
- 医大本館・新附属医院・附属薬学専門部は焼失を免れた。
- 1946年6月: 沼津市立病院の運営を受託。
- 1946年9月: 津田沼町大久保 (現・習志野市泉町) の陸軍習志野学校跡に腐敗研究所を設置。
- 1947年7月: 腐敗研究所に附属医院習志野分院を開設。寄宿舎 (希望寮・研水寮) を隣地に設置。
- 1949年5月31日: 新制千葉大学発足。
- 旧制千葉医科大学・附属医学専門部は、医学部の母体として包括された。
- 附属医院は千葉大学医学部附属病院となった。
- 附属薬学専門部は薬学部の母体となった (初代学部長: 宮木高明)。
- 1951年3月: 附属薬学専門部、廃止。
- 1951年4月: 新制医学部 医学専門課程 (4年制) を設置。
- 同月、厚生女学部が医学部附属看護学校となる。
- 1952年3月: 附属医学専門部、廃止。
- 1955年4月: 新制医学進学課程・大学院医学研究科を設置。
- 1960年3月31日: 千葉大学千葉医科大学 (旧制)、廃止。
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歴代校長・学長
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- 公立千葉病院医学教場
- 教頭: 浅川岩瀬 (1876年10月 - 1880年6月)
- 教頭: 長尾精一 (1880年6月 - 1882年7月)
- 県立千葉医学校
- 校長: 長尾精一 (1882年7月 - 1888年3月)
- 第一高等中学校医学部→第一高等中学校の校長については「第一高等学校 (旧制)」を参照
- 医学部長: 長尾精一 (1887年12月 - 1890年10月)
- 医学部主事: 長尾精一 (1890年10月 - 1894年6月)
- 第一高等学校医学部→第一高等学校の校長については「第一高等学校 (旧制)」を参照
- 医学部主事: 長尾精一 (1894年7月 - 1901年3月)
- 千葉医学専門学校
- 校長心得: 長尾精一 (1901年4月 - 1901年6月5日)
- 校長: 長尾精一 (1901年6月5日 - 1902年7月15日死去)
- 校長心得: 荻生録造 (1902年7月18日 - 1902年11月)
- 校長: 荻生録造 (1902年11月 - 1903年11月10日)
- (兼)校長: 荻生録造 (1903年11月10日 - 1905年1月10日)
- 校長: 荻生録造 (1905年1月10日 - 1914年12月11日死去)
- 校長: 三輪徳寛 (1914年12月18日 - 1923年3月)
- 千葉医科大学
- 千葉医科大学附属薬学専門部
- 主事: 平野一貫
- 主事: 間庭秀夫
- 主事: 関根重治 (1940年4月 - ?)
校地の変遷と継承
1890年、第一高等中学校医学部時代に現在の亥鼻地区に移転して以来、同地を使用し続け、後身の新制千葉大学医学部に引き継がれている。附属薬学専門部の後身、新制千葉大学薬学部は1966年に現在の西千葉キャンパスに移転した(その後2011年に薬学部は亥鼻キャンパスに再移転している)。薬学部跡地には1978年に新附属病院が竣工し、旧附属病院本館 (1936年竣工) は1980年から医学部本館となって現在に至っている。
著名な出身者
教員
- 荻生録造
- 長尾精一
- 三輪徳寛
脚注
関連書籍
関連項目
外部リンク
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