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南禅院
京都市左京区にある南禅寺の塔頭 ウィキペディアから
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南禅院(なんぜんいん)は、京都市左京区南禅寺福地町にある臨済宗南禅寺派の寺院。大本山南禅寺の塔頭。本尊は亀山法皇像。南禅寺の発祥地といわれている。門前には琵琶湖疏水事業の一環として建設された水路閣が通る。

歴史
文永元年(1264年)、亀山天皇は禅林寺の南側にあるこの地に、離宮・禅林寺殿を建てた。離宮は「上の御所」(上の宮)と「下の御所」(下の宮)に分かれており、弘安10年(1287年)に亀山上皇によって、「上の御所」に持仏堂の南禅院が建立されている。
正応2年(1289年)、亀山上皇はこの地で出家して法皇となると、正応4年(1291年)に離宮・禅林寺殿を無関普門を開山として寺院化させ、龍安山禅林禅寺と名付けた。その後、禅林禅寺は規模を拡大させて名称も南禅寺と改めると、発祥の地であった持仏堂の南禅院はその塔頭とされた。
明徳4年(1393年)に焼失し、応永27年(1420年)に北山御所の寝殿を移築するが、文安4年(1447年)の南禅寺大火で再び焼失した。応仁の乱以後は荒廃していたが、元禄16年(1703年)に桂昌院(徳川綱吉の母)と円成院禅尼(木下利三の縁者)によって再興された[1]。
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境内
- 方丈 - 本堂でもある。元禄16年(1703年)に桂昌院と円成院禅尼によって再建された。内部の襖絵は狩野常信とその子周信、岑信によるものである。
- 方丈前庭
- 茶室「龍淵窟」 - 大正時代の築。
- 庫裏
- 庭園「曹源池」(国の史跡・名勝) - 鎌倉時代、亀山上皇が自ら作庭し、夢窓疎石が完成させたと伝わる池泉回遊式庭園。鎌倉時代に作られた庭園であり、京都で一番古いものである。京都三名勝史跡庭園(他には天龍寺庭園、西芳寺庭園)の一つ。
- 亀山法皇廟所 - 庭園の東南隅に建つ廟で、亀山法皇の遺言により分骨された遺骨が埋葬されている。現在は宮内庁の管理となっている。文久の修陵の際には、当廟所は西本願寺の資金で修復された。
- 一山一寧の墓
- 勅使門
文化財
重要文化財
国の史跡・名勝
- 庭園
アクセス
脚注
参考文献
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