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博愛丸
19世紀末から20世紀半ばにかけて運航された日本の船舶 ウィキペディアから
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博愛丸(はくあいまる)とは、19世紀末から20世紀半ばにかけて運航された日本の船舶である。
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歴史
1898年(明治31年)12月にイギリスのロブニッツ造船所 (Lobnitz & Company) で竣工。なお同型船の弘済丸は1899年に竣工した。当初から日本赤十字社が管理する病院船として建造され、平時は2隻とも日本郵船の上海航路貨客船として使われた。
1900年 - 1901年(明治33年 - 34年)の義和団の乱では患者輸送船として使用され、1901年4月2日に陸海軍大臣より患者輸送船の指定が解除された[3]。1904年 - 1905年(明治37年 - 38年)の日露戦争のときには病院船として使用され、負傷兵を朝鮮の仁川赤十字病院に運んだ[4]。 1914年(大正3年)には、日本赤十字が行った日本初の国際救護活動に参加している[5]。
1926年(大正15年)に林兼商店(後のマルハを経て現在はマルハニチロ)に売却され、北洋漁業の蟹工船に改造され、使用された。漁業の作業中に起きたリンチや過酷な労働により死者が出ており(博愛丸事件)、このことが小林多喜二のプロレタリア文学、『蟹工船』の元になっている。
その後の太平洋戦争で軍需品などを輸送中、1945年(昭和20年)6月18日、オホーツク海で米軍の潜水艦アポゴン (SS-308) の雷撃を受け沈没。39名が死亡した。
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脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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