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友田信号場
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友田信号場(ともだしんごうじょう)は、かつて東海道本線にあった信号場である。1903年(明治36年)に複線化された金谷 - 堀之内(現在の菊川)間の金谷から4.8 km、堀ノ内から4.5 kmの位置(現在の静岡県菊川市倉沢)に1907年(明治40年)3月14日に設置され、1949年(昭和24年)7月12日に廃止された[1]。上り線に沿ってスイッチバックする引き込み線を設け、待避線として用いた。跡地には引き込み線跡の築堤が残る[2]。
![]() | この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2024年8月) |
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歴史
周辺
農地が多いが、当信号所跡付近は茶畑として茶の栽培を行う所が多い。静岡県道79号線との間には東海道新幹線が通っているが、当信号所跡付近はトンネルとなっているため、列車の観察をすることはできない。なお、当項では信号所廃止後の施設や道路の解説を行う。
- 下倉沢茶農協 - 茶業の倉庫。
- 流通サービス 事業所[3]
- 子安観音
- 倉沢農村公園
- 倉沢津嶋神社
- 静岡県道79号吉田大東線
- 静岡県道234号吉沢金谷線
跡地
隣の駅
脚注
参考文献
関連項目
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