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古林尚

日本の文芸評論家 (1927-1998) ウィキペディアから

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古林 尚(ふるばやし たかし 1927年11月20日 - 1998年12月30日)は日本文芸評論家。本名の読み方は「ひさし」[1]

広島県府中町に生まれる。海軍小学校、県立府中中学校(現・広島県立府中高等学校)、旧制姫路高等学校(現・神戸大学)理科乙類卒業[2]1950年早稲田大学露文科入学。同年、早稲田大学10月闘争に立会い、1952年には10月闘争の記録『真実のあかしのために』を日高書店から刊行した。1953年、日本近代文学研究所の所員となる。1954年早稲田大学を卒業[3]

高校で国語教師を務め、また大学で近現代文学を教える傍ら、主としてマルクス主義戦後民主主義の立場から戦後日本文学を研究し、文芸評論を発表。1970年11月18日夕方に三島由紀夫自決の一週間前)と大田区の三島邸で対談した[4]。これが三島にとっては最後の対談となった。翌1971年に『戦後派作家は語る』(筑摩書房)を刊行した。同作は野間宏武田泰淳堀田善衛埴谷雄高井上光晴椎名麟三、三島由紀夫へのインタビューをまとめたもの。

1998年に心臓発作により急逝。生涯独身だったため、翌1999年の正月が明けた頃、古林と親しくしていた隣人により死体を発見された[5]

訳書にムサトフ『こぐま星座』(岩波書店)など。人工衛星という訳語の考案者でもある。

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関連項目

脚注

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