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台東市
台湾の都市 ウィキペディアから
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台東市(タイドン/たいとう-し)は、中華民国台湾省の東海岸にある市。台東県の県轄市で、台東県政府の所在地である。

地理
要約
視点
台東市は台東県中部に位置し、西北は卑南郷と、南は太麻里郷とそれぞれ接し、東は太平洋に面している。台東平原上の卑南渓による沖積平野に分類され、地勢は平坦である。
気候
冬季(最寒月)の平均気温が18℃以上あり、最少雨月降水量が60mm未満かつ(100-0.04×年平均降水量)mm以上であるため、ケッペンの気候区分によれば熱帯モンスーン気候に属する。 台風が台湾南東方に接近している際は、西側にある3000m級の山脈に雨雲が当たり激しい豪雨や暴風にあうことになる。 すぐ沖合を黒潮が流れるため、多湿である。
行政区
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歴史
台東平原は古くは卑南族、阿美族が遊耕生活を送る活動地域であった。オランダ統治時代から清初にかけてこの地は「卑南」と称され、漢人による交易が行なわれていた。またオランダ統治時代には金の採取を目的に軍隊が駐留し、卑南族の利嘉社、泰安社との間に戦闘が発生している。現在でも第一公墓万姓祠内に戦死したオランダ兵の遺骨が残されている。
旧名である「宝桑庄」は漢人が最初に居住した集落である。場所は現在の卑南渓の河口部南岸である。咸豊初年、枋寮の閩人・鄭尚が海上交通に適したこの地に注目して拠点を築き、原住民との交易活動活動を開始したことで、次第に漢人集落が形成されるようになり、同治未年には漢人28戸がこの地で商業活動に従事していた。また農業従事者の入植も進み、卑南族に農業を伝えた。
行政面では光緒年間には卑南庁が設置され、後に台湾巡撫劉銘伝により台東州と改称された。改隷前は「南郷新街」が設置された。日本統治時代は「卑南街」、「台東街」が設置された。戦後は「台東鎮」が設けられ、台東県の管轄となり、県政府が設置された。1974年に隣接する卑南郷の卑南、南王、富岡、岩湾、新園、建興、南栄、知本、豊田、建和の10か村を編入し、人口が10万人を突破した。1976年1月1日、「台東市」に昇格して現在に至っている。
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