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史上最強打線
2004年の読売ジャイアンツの打線の愛称 ウィキペディアから
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史上最強打線(しじょうさいきょうだせん)とは、2004年の読売ジャイアンツの打線の愛称である。命名者は巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄である。
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概要
2003年の巨人はペナントレースで3位に終わり、監督の原辰徳が任期を1年残して辞任、堀内恒夫が後任の監督に就任する事態に至った[1] 。
オフに補強として大阪近鉄バファローズを自由契約になっていたタフィ・ローズを獲得。また福岡ダイエーホークスからその年のオープン戦で膝に重度の故障を負った小久保裕紀が無償トレード扱いで移籍。この結果、2003年までに巨人に移籍していた清原和博、江藤智、ロベルト・ペタジーニと合わせて、かつて他球団で4番を打った打者5人が巨人に集まることになった。
清原以外の4人は本塁打王のタイトル獲得経験者である。
一方で生え抜きの選手にも高橋由伸、阿部慎之助、仁志敏久、斉藤宜之、清水隆行、二岡智宏、鈴木尚広といった選手が存在し、また本拠地の東京ドームは本塁打が出やすい構造もあって、1980年にチャーリー・マニエル、栗橋茂、羽田耕一らを擁しいてまえ打線と呼ばれた近鉄バファローズ打線が打ち立てたシーズンチーム本塁打記録(239本)のプロ野球記録を更新。最終的には259本まで伸びた。
盗塁数はプロ野球史上最少となる25個[注釈 1]であったが、得点(738)、長打率(.483)、出塁率(.339)もセ・リーグ1位を記録した。
しかし、投手陣がチーム防御率4.50と投壊した巨人は優勝を逃し、首位中日と8ゲーム差をつけられた3位でシーズンを終えた[2]。
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布陣
※太字はリーグトップ
- 小久保はこの年右打者で41本塁打を放ち、球団初となる「右打者での40本塁打」を達成した(当時の12球団中12番目と、最も遅い達成)。それまでの最高は1968年の長嶋茂雄の39本塁打だった。なお、「生え抜きの」右打者に限定すると、達成は2019年の坂本勇人(40本)まで待つこととなった。
- チーム本塁打数記録更新となる240本目を放ったのは、黒田哲史である。
- 5番打者はペタジーニと清原の併用だった(ペタジーニの故障により開幕スタメンは清原)。後半戦は小久保が4番に座ったため高橋由が5番を打った。清原は40試合の出場にとどまったものの12本の本塁打を放っている。
- 「チーム連続試合本塁打」の記録で33試合連続(つまり、33試合連続で巨人の打者の誰かが本塁打を放った)というセ・リーグ記録を達成し、日本記録の35試合連続(西武が1986年に記録)に迫った。また、「開幕からのチーム連続試合本塁打」については、開幕から33試合連続の日本記録を達成した。
- 結果的に259本塁打の新記録を達成したが、一方で100打点を記録した打者が1人もいなかった。チーム内最多打点はタフィ・ローズの99。
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脚注
関連項目
外部リンク
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