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吉田顕三
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吉田 顕三(よしだ けんぞう、嘉永元年4月8日[1](1848年5月10日) - 大正13年(1924年)3月1日[2])は、日本の衆議院議員(壬寅会→中正倶楽部)。海軍軍医大監。

経歴
安芸国山県郡吉坂村(現在の広島県山県郡北広島町)出身[1]。1865年(慶応元年)より京都・大坂で医学と英語を学んだ[1]。1868年(明治元年)、箱館府民政方病院掛となるが、箱館戦争が起こると甲鉄艦乗組医官を務めた[1]。その後軍艦や海軍病院に勤務。1872年(明治5年)よりイギリス留学を命じられた。1878年(明治11年)に帰国後は、軍医少監に任ぜられ、軍医中監、軍医大監と昇進した[1]。その間、医務局副長、海軍病院副長、同院長を務めた[1]。また1881年(明治14年)からは大阪府立病院長・大阪府立医学校長も務めた[1]。1888年(明治21年)、予備役編入[3]。翌年、大阪に吉田病院を開いた[3]。義和団の乱の際には日本赤十字社病院船弘済丸の医長を務めた[2]。
1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第8回衆議院議員総選挙でも再選を果たした。 墓所は大阪の四天王寺。
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著書
- 『ヒポクラテース』(1914年、南江堂)
脚注
参考文献
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