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和久井秀俊
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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和久井 秀俊(わくい ひでとし、1983年2月12日 - )は、栃木県出身の元サッカー選手。ポジションはMF。出身地である栃木県の観光大使「とちぎ未来大使」を務める。
また、ブログやTwitterやfacebookといったソーシャルメディアを活用してファンとの直接のコミュニケーションを大事にすることから、ファンから『ソーシャルアスリート』と呼ばれている。日本人のプロサッカー選手として最長の、海外キャリア20年を持つ。
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来歴
要約
視点
学生時代
小学4年の時に、サッカーを始める。
当時Jリーグを退団したばかりの根岸誠一がコーチを務めるクラブチームにてサッカーの魅力に取りつかれる。
入学した中学校には、サッカー部が無かったため野球部に所属する。どうしてもサッカーをやりたかったため、中学2年時に生徒会長になり、サッカー部を創設した。
入学した当時の鹿沼東高校時代は、サッカー部に専属の顧問がいなかったため、選手でありながら自ら練習内容を考え技術向上をし、栃木県選抜まで上り詰める。
ブラジル時代
2001年、栃木県立鹿沼東高等学校の卒業が確定してから、卒業式を待たずにブラジルに単身渡航[1]。
アルバイトで貯めた2ヵ月分の生活費だけを持ってブラジルに渡る。現地では、サッカーが下手な人のことを日本人と呼ぶほど日本人のサッカーのレベルが低いと見られていた。
ブラジルでは、試合に勝ったらお金をもらうという生活であり、過酷な生活環境の中でサッカーの技術向上に努めた。
2002年からは3部のアトレチコ・ジャレゼンセに所属。
日本への帰国 - 再び海外移籍
ブラジルでの活躍がきっかけとなり、アルビレックス新潟へ逆輸入選手として帰国。
しかし、怪我の影響により出場機会を得られぬまま、アルビレックス新潟シンガポールに移籍することになる。
アルビレックス新潟シンガポール時代
創設したばかりの当時のアルビレックス新潟シンガポールには、後々カナダ代表として活躍する中島ファラン一生や、シンガポールリーグ史上初の4連覇を達成させた新井健二などが所属していた。
欧州海外リーグ時代
スロベニアのNKインテルブロック・リュブリャナでは2005-06シーズンにチームの1部昇格に貢献、2006-07シーズンでは1部残留プレーオフでゴールをマークするなど活躍。2007年7月にオーストリア2部リーグのバッド・オウセーに移籍。2008-09年はスロベニア1部のNDゴリツァ、2009-10シーズンはチェコ1部のボヘミアンズ・プラハでプレーし、2010年9月からベラルーシ・プレミアリーグのFCミンスクに移籍した(この移籍により日本を含めアジア人初のベラルーシサッカーリーグ所属選手となった)。
ノーメ・カリュ
2011年3月、エストニア・マイスターリーグのノーメ・カリュFCに完全移籍。2011年3月、エストニア・マイスターリーグ月間ベストイレブンに選出され、エストニアのサッカー情報誌にて、今期の注目選手6名のうちの1人に選ばれた。2011年4月、6月、8月とベストイレブンに選出された。2011年は、所属するノーメ・カリュFCを主力として戦い抜き、シリーズ準優勝へと導いた。自身もシーズンにおけるベストイレブン及び、ベストMFに選出された。
2011年6月30日のFCホンカ戦でUEFAヨーロッパリーグ初出場、2012年7月5日のFKハザル・レンコラン戦でヨーロッパリーグ初得点を記録した。2013年7月17日にはHJKヘルシンキ戦でUEFAチャンピオンズリーグに初出場した。
2012年にはノーメ・カリュFCのエストニア・マイスターリーグ優勝に貢献した。個人としても、2年連続でシーズンにおけるベストイレブン及び、ベストMFに選出された。また、シーズンMVP投票でも2年連続で2位となった[2]。この結果、欧州1部リーグと2部リーグの両方で優勝と降格を経験した日本人選手となった。2005-06シーズンにスロベニア2部で優勝、2007-08シーズンにオーストリア2部で降格、2009-10シーズンにチェコ1部で降格を経験している。降格はいずれもリーグ最下位での降格である。
2011年に加入してから2013年までの3シーズンでリーグ戦通算100試合32得点の成績を残した[3]。2014年7月14日、タルトゥJKタメカ戦でハットトリックを達成した[4][5]。9月27日、FCフローラ・タリン戦でシーズン18ゴール目を決め、エストニア・マイスターリーグの通算ゴール数を50とした[6]。4シーズン連続でベスト11を受賞した[7]。2014シーズンに記録した21得点は、日本人の欧州最多得点記録である[8]。2015シーズンは9月29日のエストニア・カップの試合で負傷し、残りのリーグ戦を欠場することになったが[9]、4シーズン連続の2桁得点となる11ゴールを記録した。
2016年11月、ノーメ・カリュ退団が発表された[10]。ノーメ・カリュではリーグ戦通算176試合67得点の成績を残した[11][12][注 1]。
2017年8月、フィンランド2部のIFグニスタン加入が発表された[11][12]。
2021年11月をもって現役を引退したことを自身のブログにて発表。
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エピソード
所属クラブ
- 栃木県立鹿沼東高等学校
- 2001年5月 - 2002年12月
サント・アンドレ
- 2003年1月 - 同年5月
アトレチコ・ジャレセンセ
- 2003年 - 2004年
アルビレックス新潟
- 2004年 - 2005年
アルビレックス新潟シンガポール ※2004年はレンタル移籍
- 2006年1月 - 2007年7月
ファクトールFC / インテルブロック・リュブリャナ ※2006-2007シーズン中にファクトールFCから改名
- 2007年7月 - 2008年
バッド・オウセー
- 2008年 - 2009年
NDゴリツァ
- 2009年 - 2010年8月
ボヘミアンズ・プラハ
- 2010年9月 - 2011年2月
FCミンスク
- 2011年3月 - 2016年
ノーメ・カリュFC
- 2017年
IFグニスタン
- 2018年 -
JKタリナ・カレフ
個人成績
要約
視点
国内大会
- エストニアのオープン杯はエストニア・カップ。
- その他の公式戦
- 2007年 スロベニア・プルヴァリーガ 残留・昇格プレーオフ 2試合1得点
- 2013年 エストニア・スーパーカップ 1試合0得点
国際大会
出典[18]
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タイトル
クラブ
- ノーメ・カリュFC
- エストニア・マイスターリーグ 優勝 (1) : 2012
- エストニア・カップ 優勝 (1) : 2014-15[19]
- ファクターFC
- スロベニア・セカンドリーグ 優勝 (1) : 2005-06
個人
- エストニア・マイスターリーグにおけるシーズンベストイレブン (2) : 2011, 2012
- エストニア・マイスターリーグにおけるシーズンベストMF (2) : 2011, 2012
- エストニア・マイスターリーグにおけるシーズンMVP 次点 (Runner-up) (2) : 2011, 2012
- エストニア・マイスターリーグにおける月間MVP (3) : 2011年8月, 2012年6月, 2013年3月
- 2011年エストニア・マイスターリーグにおける月間ベストイレブン (5) : 2011年3月, 2011年4月, 2011年6月, 2011年8月, 2011年9月
- エストニア・マイスターリーグにおけるシーズンベスト移籍(加入選手) 次点 (Runner-up) (1) : 2011
出典[20]
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脚注
関連項目
外部リンク
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