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和氏

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和氏(やまとうじ)は、「和」をの名とする日本渡来氏族姓(カバネ)養徳とも記される。

概要 和氏, 氏姓 ...


概要

百済系の渡来氏族で、百済の第25代王・武寧王の子孫である[注釈 1][1][2]。和(やまと)の名称は、大和国城下郡大和郷(現在の奈良県天理市佐保庄町大和一帯)に由来する[3]

『日本書紀』武烈天皇7年(西暦505年?)4月項に、百済から遣わされた武寧王の息子、斯我君(夫餘斯我)が大和の貴族女性と結婚し、法師君を生んで、法師君の息子は和乙継である。斯我君と純陀太子を同一人物と見る学者がいる。

もともと和史姓を名乗っていたが、和乙継(やまとのおとつぐ)の娘・新笠が入侍していた白壁王(光仁天皇)が即位したため、宝亀年間(770年代)に乙継・新笠親子には高野朝臣姓を賜与された[4]。また、乙継の子・国守らその他の一族も延暦2年(783年)に史姓から朝臣姓に改姓している[5]

光仁天皇と新笠の皇子である桓武天皇は、延暦9年12月30日791年2月11日)、生母の一周忌に際して、母系の祖父・和乙継と祖母・土師真妹(はじのまいも)に正一位を追贈した。朝臣姓和氏からは、桓武朝で天皇外戚として中納言にまで昇進し、渡来系氏族として初めて公卿となった和家麻呂(乙継の孫)がいる[6]。朝臣姓「高野」は乙継と新笠の父娘にのみ賜姓されたとみられ、こちらも文献に現れない。

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脚注

参考文献

外部リンク

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