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平羅線
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平羅線(ピョンラせん)は、朝鮮民主主義人民共和国平壌直轄市兄弟山区域にある間里駅から羅先特別市にある羅津駅までを結ぶ鉄道路線である。
概要
平羅線は間里 - 高原 - 咸興 - 金策 - 清津 - 羅津を結ぶ。平壌から朝鮮半島を横断して日本海側に出、咸鏡南道・咸鏡北道の沿岸部の大都市を結び、ロシア国境に至る重要な鉄道路線である。
現在平羅線と呼ばれる路線は、日本統治時代に建設された平元線・咸鏡線・清羅線を原型としている。すなわち、現在の平羅線のうち
- 東北里 - 高原間:平元線の一部
- 高原 - 清津間:咸鏡線(咸鏡本線)の一部
- 清津 - 青岩間:清羅線
にあたる。間里 - 東北里間については、戦後、北朝鮮によって建設が行われた。清津 - 羅津間については、清羅線として日本統治下で工事こそ進展していたものの、清津(現・清津青年)- 青岩(現・金バウィ)間(11.0km)が1945年2月1日に開業しただけで終戦を迎えた[1]。第二次世界大戦後の1960年代、北朝鮮によって電化と金バウィ - 羅津間の開業が行われた。
羅先では咸北線(清津 - 会寧 - 南陽 - ムルゴル - 羅津)と接続しており、同線とムルゴル - 豆満江間の豆満江線を合わせ、北朝鮮からロシアへ向かう連絡ルートを形成している。
1990年代以降、老朽化と資源不足により輸送力・速度共に他の同国路線と同じく凋落が進む。現在では、平壌 - 清津間の移動に日本統治時代よりも遥かに長い時間を要していると言われている。北朝鮮の線路整備の悪化により近年ではロシアとは改善工事を行っている。
路線データ
本節の出典は特記なき限り、日本貿易振興機構(2015)に基づく[2]。
この他、橋梁が475本(22km)、トンネルが146本(62km)存在する。軌条重量化は全区間で完了しているが、枕木のコンクリート化は2014年時点で3割ほどにとどまっている。信号システムに関しては、清津 - 羅津間で半自動化されている。
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沿革
要約
視点
日本統治時代
咸鏡線
平羅線のうち、高原 - 清津を結ぶ区間は、日本統治時代の咸鏡線(かんきょうせん、咸鏡本線とも)の一部にあたる。もともと咸鏡線は、元山 - 高原 - 清津 - 上三峰(現:三峰)を結ぶ路線であった。現在北朝鮮では元山 - 高原間を江原線の一部、清津青年 - 三峰間を咸北線として運用している。
咸鏡線は、京城(現:ソウル)- 元山を結ぶ京元線(けいげんせん)と合わせて大正期に路線の原型が出来上がった。満洲事変勃発(1931年)後には京城から朝鮮・満洲国東部へ向かう路線のため国家戦略上重要な使命を担うことになった。京城 - 清津・雄基(現在の羅先の一部。南陽経由)・牡丹江間に昼夜行1往復ずつの急行列車が設定された。一時、咸鏡線の北部区間が南満洲鉄道(満鉄)に経営移管されていた事(1941年に全線の管理が朝鮮総督府へ移管)もあった程である。
咸鏡線部分の年表
- 1916年9月21日 - 文川 - 高原 - 永興(現在の金野駅)間が開業。
- 1916年11月5日 - 清津(現在の清津青年駅) - 輸城 - 蒼坪間が開業。
- 1919年12月10日 - 輸城 - 羅南間が開業。
- 1919年12月15日 - 永興 - 咸興間が開業。
- 1920年10月1日 - 羅南 - 鏡城(現在の勝岩駅)間が開業。
- 1921年11月11日 - 鏡城 - 朱乙(現在の鏡城駅)間が開業。
- 1922年12月1日 - 咸興 - 西湖津(現在の西湖駅)間が開業。
- 1923年9月25日 - 西湖津 - 退潮(現在の楽園駅)間が開業。
- 1924年10月11日 - 退潮 - 陽化間、吉州(現在の吉州青年駅) - 端川(現在の端川青年駅)間、朱乙 - 鳳岡 - 水南間が開業[4]。
- 1925年6月5日 - 朝鮮総督府所属咸鏡線の内、元山 - 陽化間を咸鏡南部線、端川 - 吉州間を咸鏡中部線、水南 - 会寧間を咸鏡北部線、清津 - 輸城間を清津線と改称する[5]。
- 1925年11月1日 - 咸鏡南部線陽化 - 俗厚間が開業[6]。雲浦駅が開業[7]。
- 1926年11月11日 - 咸鏡南部線俗厚 - 新北青間が開業。
- 1926年12月1日 - 咸鏡北部線鳳岡 - 極洞間が開業。水南駅廃止[8]。
- 1927年6月1日 - 咸鏡南部線内湖駅が開業[9]。
- 1927年8月1日 - 咸鏡北部線極洞 - 龍洞間が開業[10]。
- 1927年12月1日 - 咸鏡北部線生気嶺駅が開業。咸鏡南部線新北青 - 居山 - 盤松間、咸鏡北部線群仙(現在の利原駅) - 端川間及び吉州 - 龍洞間が開業[11]。群仙 - 会寧間が咸鏡北部線へ統合される[12]。
- 1927年12月21日 - 咸鏡南部線文峰駅開業。
- 1928年7月21日 - 咸鏡南部線内湖駅を移転し、普通駅として興南駅と改称する[13]。
- 1928年8月31日 - 咸鏡南部線盤松駅廃止[14]。
- 1928年9月1日 - 居山 - 群仙間の開業によって咸鏡線全通。元山 - 会寧間を咸鏡本線と改称する[14]。
- 1929年6月15日 - 上龍田駅(現在の上龍蟠駅)が開業。
- 1931年6月15日 - 晩春駅が開業。
- 1931年9月10日 - 永安駅(現在の三郷駅)が開業。
- 1931年12月26日 - 興南本町駅が開業。
- 1932年10月1日 - 興上駅を咸南興上駅(現在の咸州駅)と改称する[15]。
- 1933年10月1日 - 清津線の運営は南満洲鉄道に委託される[16]。
- 1935年5月1日 - 范浦駅が開業。
- 1935年11月1日 - 龍坪駅を漁大津駅と改称する[17]。
- 1937年1月1日 - 松端駅を利原駅(現在の松端駅)と改称する[18]。
- 1937年5月16日 - 義湖駅を元山駅方向に1.9km移転する。[19]
- 1937年8月1日 - 義湖駅を江上里駅と改称する[20]。
- 1939年8月16日 - 鶴中駅(現在の松上駅)が開業[21]。
- 1939年9月16日 - 玄興駅と麻田駅が開業[22]。
- 1939年11月1日 - 細浦里駅と温水坪駅が開業[23]。
- 1940年6月30日 - 南満洲鉄道による清津線の委託運営が廃止される[24]。
- 1940年7月1日 - 咸鏡本線の区間が元山 - 上三峰間に変更される[24]。
- 1940年9月30日 - 興南本町駅廃止[25]。
- 1941年4月16日 - 新成津駅(現在の長坪駅)が開業[26]。
- 1941年12月1日 - 羅南 - 清津間の開業。既存の羅南 - 輸城間が康徳線として分離される。清津 - 清津港間を清津線と改称する[27]。
- 1942年2月1日 - 線路の改良と共に清津駅が現在の位置へ移転される[28]。その結果、清津 - 輸城間が1.2km短縮される[29]。
- 1945年2月1日 - 中湖駅が開業[1]。
平元線
平羅線のうち、東北里 - 高原間は、日本統治時代の平元線(へいげんせん)の一部にあたる。もともと平元線は、西浦 - 龍城 - 馬嵐(現:東北里)- 高原を結ぶ路線であった。現在北朝鮮では西浦 - 龍城 - 東北里間を龍城線として運用している。
平元線は第二次世界大戦(太平洋戦争)中に完成した路線で、全線の直通旅客列車は1942年当時2往復しか運転されていないローカル線であった。
平元線部分の年表
第二次世界大戦後
終戦後、鉄道の管理を担っていた日本人技術者が追放され、更に北緯38度線より北部に進駐したソ連軍(赤軍)が資材を自国の復興のため持ち去ったことや、朝鮮戦争(1950年 - 1953年)の勃発により輸送は完全に麻痺する。その後、ソビエト連邦と中華人民共和国の支援を受けて復興が進み、1960年代には電化工事を進展させた。1965年6月10日、日本統治終了後長らく放置されていた清津 - 羅津間がようやく開業している[32]。
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運行形態
北朝鮮を代表する東西横断路線として多数の列車が運転されている。
2002年時点の時刻表によると、全線を走破する急行列車として平壌 - 豆満江間を結ぶ7・8列車が設定されている[33]。この他、平羅線と接続する各路線に乗り入れる急行列車や準急行列車が複数設定されており、地域輸送を担う近距離各駅停車が平壌市・平城市・順川市・咸興市・端川市・清津市近郊で運転されている[33]。
7・8列車はロシア連邦への連絡の使命も担っており、特定日はモスクワとの直通列車を連結して運転される[34]。2004年時点では平壌 - モスクワ間直通ではなく、露朝国境のハサンにてロシア・北朝鮮相互の列車が接続しているとされたが[34]、2025年6月時点では平壌 - モスクワ間での直通運転が行われている[35]。平壌 - モスクワ間の直通列車は2020年からの新型コロナウイルスの世界的流行により運転取りやめとなった時期もあったが、2025年6月17日の平壌発より運転が再開された[35]。
貨物輸送に関しては、沿線に資源を大量に消費する発電所や企業所(平壌火力発電所、2.8ビナロン連合企業所など)が多数立地することから、北朝鮮でもっとも貨物輸送が盛んに行われている路線となっている[2]。このため、江原線・青年伊川線などを活用して輸送を分担している[2]。
駅一覧
- 平壌駅~間里駅間は平義線であるが、全列車が平壌駅まで乗り入れる。
廃駅
廃止された支線
- メボン支線
- 殷山駅 - メボン駅(매봉역)
- 駅は全て平安南道殷山郡に位置していた。
- 長鮮江支線
- 殷山駅 - 長鮮江駅(장선강역)
- 長鮮江駅は平安南道順川市に位置していた。
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参考資料
- 国分隼人(2007年). 『将軍様の鉄道 北朝鮮鉄道事情』, 新潮社. ISBN 9784103037316
- 鉄道省 編, 『鉄道停車場一覧. 昭和12年10月1日現在』, 1937, p496, 498~501
関連項目
脚注
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