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喜連川氏春
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喜連川 氏春(きつれがわ うじはる)は、江戸時代中期の大名。下野国喜連川藩の第4代藩主。戌王丸、右兵衛督[2]。
生涯
寛文10年(1670年)、宮原義辰の次男として生まれる[2]。母は某氏[2]。
喜連川昭氏の養嗣子だった氏信(昭氏の実弟)が同年(寛文10年)5月に早世していたため、同年7月23日、昭氏の養子となり、その娘を室とした[2]。
天和2年(1682年)7月28日、13歳のとき、徳川綱吉に初めて御目見した[2]。正徳3年(1713年)11月、養父・昭氏が死去[2]。正徳4年(1714年)1月19日、遺領を継いだ[2]。
享保6年(1721年)6月25日(『寛政重修諸家譜』では6月29日)、死去[1][2]。52歳[2]。天山道公大常院と号した[2]。
系譜
父母
兄弟姉妹
- 宮原義真
- 喜連川氏春
- 女子 - 杉浦政令の妻
室
- 喜連川昭氏の娘
子女
脚注
参考文献
外部リンク
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