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国家保衛省
朝鮮民主主義人民共和国の情報機関 ウィキペディアから
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国家保衛省(こっかほえいしょう、朝鮮語: 국가보위성)は、朝鮮民主主義人民共和国国務委員会に直属する秘密警察・情報機関。そのすべての活動は朝鮮労働党中央委員会組織指導部に報告され、その指導を受けるとされている。
歴史
要約
視点
1973年、内務省(警察担当省庁)に相当する社会安全部から、政治犯を専門とする国家政治保衛部が分離され、部長には金炳夏が任命された。金日成は国家政治保衛部を通して反体制派を粛清し、住民が反抗できないように北朝鮮社会に恐怖感を作り出した。その後、弾圧の行き過ぎを感じ取った金日成は、責任を金炳夏に負わせて粛清した。
1982年、国家政治保衛部から「政治」の言葉が外され、国家保衛部に改称された。部長には李鎮洙が任命されたが、部の全般的な指導は金日成の後継者として台頭してきた金正日が行った。
1987年の李鎮洙死亡以後は部長は任命されず、部の実務は第一副部長のキム・ヨンリョンが担当することになる。しかし1998年、キム・ヨンリョンは、金正日から反革命分子のレッテルを貼られ自殺した。この間の1993年に国家保衛部は国家安全保衛部に改称されている。
金日成死去後に金正日体制が確立してからも国家安全保衛部長職は永らく空席で、金正日が直接この機関を指揮・指導し、実務は国家安全保衛部第一副部長の禹東測が取仕切っていた。1995年、国家安全保衛部は江界国防大学における金正日暗殺計画を未然に防いだ(金正日暗殺未遂事件)[1][注釈 1]。
2011年に金正日が死去して金正恩体制が発足すると、2012年4月に金元弘が国家安全保衛部長に就任した。
消息筋によると、2016年6月に開催された第13期最高人民会議第4回会議で人民武力部と人民保安部と共に部から省へと格下げされ、国家安全保衛省に名称変更したとみられていたが[2]、同年12月の朝鮮中央テレビの報道で名称が国家保衛省に変更されていたことが判明した[3]。ただし、部から省への改称は格下げではなく組織名称の混乱[注釈 2]を解消するためであり、引き続き人民保安省共々内閣に属する他の省庁よりも優越的な地位にあるとの指摘もある[4]。
2017年2月3日、韓国統一省は金元弘が1月下旬に党組織指導部の検閲を受けて拷問などの人権侵害、様々な越権行為、不正行為を理由に国家保衛相を解任され、大将から少将に降格されていたことを発表した。これと同時に、国家保衛省の次官級の幹部が多数処刑されていたことも発表した[5]。
2017年5月5日、国家保衛省は米国の中央情報局(CIA)と韓国の国家情報院が金正恩党委員長の暗殺を試みたと発表し[6][7][8]、正式な謝罪を要求した[9]。国家保衛省代弁人(スポークスマン)の声明では、「CIAと国家情報院のテロ一派を最後の1人まで探し出して処断する」というメッセージを送った[10]。
2022年4月25日、朝鮮人民革命軍(朝鮮人民軍の前身)創設90周年記念の軍事パレードで「国家保衛省縦隊」が登場[10][11]。朝鮮中央放送の映像では、「連隊旗は赤色の無地で、国家保衛省のロゴなどは確認できない。黒スーツ、黒ネクタイに、手には銃を持っていた」「国家保衛省のメンバーの映像や写真が公開されたとなれば、きわめて異例な出来事」「正恩氏が昨今、反社会主義行為を問題視していることが影響した可能性もある」との指摘がある[10]。「国家保衛省縦隊」はその後、2023年7月27日(祖国解放戦争勝利記念日)に行われた朝鮮戦争休戦協定調印70周年記念軍事パレードにおいても登場しており、その際は黒スーツに加えサングラスをかけた状態で行進している[12]。
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組織
北朝鮮の各直轄市及び道・市・郡に保衛部を設置し、里単位に至るまで保衛員を常駐させているほか、機関・企業所などにも保衛員を派遣している。判明している組織構成・所掌は以下の通り。
- 第1局
- 第2局(海外反探局)
- 第3局
- 第4局 - 海外工作担当
- 第8局 - 北朝鮮に帰国した在日コリアン担当
国家保衛省政治大学
平壌市龍城区域に所在する国家保衛省の要員養成機関(5年制)であり、政治学、軍事学、心理学、人間社会哲学、社会主義経済学など12科目を教授し保衛員・工作員を養成している。入学には朝鮮労働党員であることが求められ、保衛員のほか党や政府の幹部の養成も行っている。
戦闘機動部特殊作戦小組
国家保衛省戦闘機動部に属する特殊作戦小組は最高指導者による粛清対象となった高級幹部らの逮捕を専門に行っており、出動時に使用するイヴェコ社製バスの前面に貼られた「松明に労働党章」の特別通行証(あらゆる検問所を無停車で通過可能)から「松明逮捕組(홰불 체포조)」と通称されている。特殊作戦小組は1班20名、計100名からなり全員が武術の有段者で、出動命令を受けると粛清対象者を迅速に逮捕する。また、事例こそないものの暴動発生時には暴動鎮圧に投入され、関係者の逮捕にあたるとも言われている[13]。
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歴代保衛部長・保衛相
脚注
参考文献
関連項目
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