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埼玉県民歌
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「埼玉県民歌」(さいたまけんみんか)は、太平洋戦争中の日本で埼玉県が制定した初代の県民歌である。作詞・金井政一、作曲・服部正。本項では、同じレコードのB面に収録されている「埼玉民謡」(さいたまみんよう)についても解説する。
解説
1942年(昭和17年)9月に埼玉県と大政翼賛会埼玉県支部の共同事業として、
- 甲(県史に鑑み郷土の誇りを表徴した質実剛健、典雅なもの)
- 乙(銃後の誠を示し健全明朗、郷土色豊かなもの)
の2部門につき歌詞の懸賞募集を実施した[1]。審査の結果、甲篇は児玉郡松久村(現在の美里町)在住の国民学校教員・金井政一の、乙篇は北埼玉郡三田ヶ谷村(現在の羽生市)の東京帝国大学文学部在校生・宮澤章二の応募作が入選となり、甲篇には「埼玉県民歌」、乙篇には「埼玉民謡」とそれぞれ題名が付けられた。
入選作の発表後に音楽文化協会を通じて服部正が「埼玉県民歌」、佐々木俊一が「埼玉民謡」の作曲をそれぞれ依頼され、11月17日に埼玉会館で発表会が行われた[2]。翌1943年(昭和18年)3月にはビクターレコード(現在のJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)からA面に鳴海信輔と大谷洌子が歌う「埼玉県民歌」、B面に小唄勝太郎と鈴木正夫が歌う「埼玉民謡」をそれぞれ吹き込んだレコードが発売されている[3]。
廃止の時期は明確になっていないが、大政翼賛会が制定に関与していることから1945年(昭和20年)に戦争が終結した後は同時期に制定された初代「山口県民歌」や熊本県の「菊池盡忠の歌」と同様に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)から演奏を禁止されたとみられる。短命に終わった「埼玉県民歌」の廃止から約20年のブランクを経た後、1965年(昭和40年)に現在の「埼玉県歌」が制定された。
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参考文献
- 『新編埼玉県史 資料編26(近代・現代8) 教育・文化』(埼玉県、1990年) NCID BN00133688
脚注
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