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塚原二子塚古墳

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塚原二子塚古墳(つかばらふたごづかこふん)は、長野県飯田市桐林にある古墳。形状は前方後円墳飯田古墳群(うち竜丘単位群)を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている(史跡「飯田古墳群」のうち)。

概要 塚原二子塚古墳, 別名 ...

概要

長野県南部、天竜川支流の臼井川・袋洞沢川の間の小段丘上(標高405m)に築造された古墳である。一帯にはかつて古墳16基が分布して塚原古墳群を形成し、本古墳はその盟主的存在であったが、現在では本古墳以外の多くは失われている。現在までに良好に墳丘を遺存しており、1980年昭和55年)・2007-2009年度(平成19-21年度)に発掘調査が実施されている。

墳形は前方後円形で、前方部を南南西方向に向ける。墳丘外表では葺石のほか、円筒埴輪(朝顔形埴輪含む)・形象埴輪(蓋形埴輪など)が認められる。また墳丘周囲には盾形の周溝が巡らされ、周溝を含めた古墳全長は86メートルにおよぶ。埋葬施設は未調査のため明らかでないが、後円部墳頂における竪穴式石室と推定される。副葬品も明らかでないが、かつて金銅製冑が出土したという伝承がある[1]。築造時期は古墳時代中期の5世紀後半[2](または5世紀末[3]/5世紀後半-末[1])頃と推定される。

古墳域は2016年(平成28年)に国の史跡に指定されている(史跡「飯田古墳群」のうち)。

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遺跡歴

  • 1957年昭和32年)、耕作時にくびれ部付近で埴輪列の出土[4]
  • 1968年(昭和43年)11月19日、飯田市指定史跡に指定。
  • 1980年(昭和55年)、墳丘測量調査[4]
  • 1990年度(平成2年度)、市道建設に伴う後円部北側の発掘調査(飯田市教育委員会)。
  • 2007-2009年度(平成19-21年度)、範囲確認調査(飯田市教育委員会、2012年に報告)[1]
  • 2016年(平成28年)10月3日、国の史跡に指定(史跡「飯田古墳群」のうち)。

墳丘

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後円部墳頂

墳丘の規模は次の通り[1]

  • 古墳総長:86メートル - 周溝を含めた全長。
  • 墳丘長:73メートル
  • 後円部
    • 直径:44メートル
    • 高さ:6.2メートル(西側)、7.5-7.6メートル(東側)
  • 前方部
    • 幅:38メートル
    • 高さ:6.0-6.2メートル(西側)、7.4メートル(東側)

墳丘外表では葺石が認められるが、通常のように墳丘の傾斜に沿って積み上げるのではなく、階段状(石垣状)に積み上げ、外見的には基壇状を呈する独特の構造として注目される[1]

墳丘の周囲には盾形の周溝が巡らされ、後円部側ではその外側にも外周溝が認められる(二重周溝)[1][3]

ギャラリー

脚注

参考文献

外部リンク

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