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多極共存型民主主義

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多極共存型民主主義(たきょくきょうぞんがたみんしゅしゅぎ、英:Consociationalism)は、民主的な権力分有の一形態。[1]政治学者は、多極共存型民主主義国家を、民族宗教言語に大きな内部分断を抱えつつも、諸集団のエリート間の協議によって安定を保っている国家と定義する。多極共存型民主主義国家は、多数派主義英語版選挙制度を持つ国家と対照されることが多い。

多極共存型民主主義の目標は、政府の安定、権力分有取り決めの存続、民主主義の存続、そして暴力の回避である。レバノンのように宗派に沿って組織される場合は、宗派主義英語版として知られる。多極共存型民主主義はしばしばコーポラティズムに類比され、それ自体をコーポラティズムの一形態とみなす学者もいる。[2][3]他方で、経済的コーポラティズムは階級間闘争の調整を目的に設計されたのに対し、多極共存型民主主義は民族・宗教的な社会的分断英語版の調停に基づき発展したと主張する者もいる。[4]

同時多数英語版は多極共存型民主主義の前駆となりうる。多極共存型民主主義は(たとえばスイスの)合意型民主主義とは異なり、多極共存型民主主義が少数派拒否権を伴う代表者間の合意に依拠するのに対し、合意型民主主義は有権者全体の合意を要請する。[5]この考え方は、特に権力分有への適用可能性をめぐって、民主的政治体制に適合するかどうかについて大きな批判も受けている。

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起源

多極共存型民主主義の英語表記であるコンソシエーション(Consociation)という語は、17世紀ニューイングランド連合において最初に論じられた。これは、マサチューセッツ湾植民地の諸タウンシップにある自律的な会衆派教会どうしの連合協働を指し、これらは民政の立法機関や治安司法官職において権能を付与されていた。[6]この問題は1662年ボストンシノドで長く議論された。[7]当時イングランドでは英国国教会の1662年礼拝統一法英語版が導入されつつあった。

学術的用語としての多極共存型民主主義は、政治学者アーレンド・レイプハルトによって最初に論じられた。しかしレイプハルト自身は、「ただ、政治実務家たちが学者や互いに独立に、それよりも以前から繰り返し発明してきたものを見出しただけだ」と述べている。[8]理論的には、多極共存型民主主義はレイプハルトのオランダ英語版)における政治的妥協の観察から帰納され、その後レイプハルトは民族紛争の調整に適用可能な一般理論として主張した。[9]

オランダは多極共存型民主主義国家として、1857年から1967年まで、非地域的な四つの「柱」――カルヴァン派カトリック社会主義、一般――に分かれていた(ただし1917年までは比例代表ではなく相対多数制であった)。全盛期には、それぞれが緊密に組織された団体・学校大学病院新聞を擁し、バルカン化した社会構造に沿って分かれていた。理論は、レイプハルトによれば、社会エリートの合意と協働を安定的民主主義の鍵とする。レイプハルトのこの初期研究に基づき、ジョン・マガリー英語版ブレンダン・オレアリー英語版は、多極共存型民主主義を1917年のオランダに遡らせ、ゲァハルト・レームブルッフはその「前駆」を1555年のアウクスブルクの和議にまで求めている。[10][11]

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国家建設

レイプハルトの初期理論は主として西欧民主主義から形成されたが、この数十年で武力紛争後の国家建設英語版の文脈において大きな支持を得てきた。[12][13]この展開は、有利条件の射程が外的要因にまで拡張されたことにも反映されている。[14][15][16]最近の事例は国内エリートの内発ではなく、しばしば国際勢力による外部からの促進、ときに押し付けによって特徴づけられる。[17][18][19]その過程で、多極共存的な取り決めは、深く分断された社会というきわめて脆弱な状況において、差し迫った暴力的紛争を転化し、和平を定着させるために頻繁に用いられてきた。[20]

こうした不安定な環境では、初期実装のみならず継続的存立のためにも外部の介入が必要であることが示されてきた。[21][22]このため、さまざまな国際勢力が、対象国家における権力分有合意を維持するための仲介・支援の役割を担ってきた。とりわけボスニア・ヘルツェゴビナでは、ボスニア・ヘルツェゴビナ上級代表という形の国際的規制機関が設けられ、国内エリートが合意に至りにくい法案について国内政治に頻繁に介入して立法を実施した時期があった。[23]

紛争後国家建設における多極共存型民主主義の成果は一様ではないものの、オレアリーやマガリーらは、直近の紛争を終結させ、平和構築に必要な安定を生み出すうえで、しばしば最も実際的なアプローチであることを主張している。[24]その有用性は、転化的性格、柔軟性、そして多数派主義では取り込みにくい既存のアイデンティティに向き合う現実主義的手法にあるとされる。[25]

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特徴

レイプハルトは、多極共存型民主主義の4つの主要特性を挙げる。[26]

  1. 大連立:各集団のエリートが非協力の危険を認識し、社会全体の利益のために共同で統治する。
  2. 相互拒否権:各集団間の合意が、多数決の確認に必要。相互性があるため、ある集団が他を拒否すれば、後者も報復的に拒否する可能性が高い。
  3. 比例性:代表は人口比に基づく。たとえば、ある集団が社会全体の30%なら、警察公務員などの公的部門や諸機関で30%を占める。
  4. 自治:各集団に文化に基づく異なる共同体法を許容する。

多極共存型政策には、しばしば次の特徴がみられる。[27]

  • 連立内閣行政府権力が一党に集中せず、諸党間で共有される。多くは過大連立(議会多数に不可欠でない党も含む)。
  • 行政府と立法府の権力均衡。
  • 分権化・連邦制:地域的少数派が相当の自立性を持つ。
  • 不相似(二院の非同質)二院制:一党が両院で多数を得るのが難しい。通常、一方の院は地域的利益、他方は国民的利益を代表。
  • 比例代表制:小規模な少数派にも代表獲得の機会を与える。
  • 組織化されたコーポラティズム利益団体:少数派を代表。
  • 硬性憲法:少数派の同意なく政府が憲法を変更できない。
  • 違憲審査:少数派が不当な法律に対して司法救済を求められる。
  • 直接民主主義的要素:少数派が立法を成立させたり阻止したりできる制度。
  • 公的部門における比例的雇用。
  • 中立的な国家元首儀礼的職務のみを担う君主、または当選後に党籍を離れる間接選出の大統領
  • 国民投票の限定的利用:少数派による立法阻止のためにのみ用いる(国民発議英語版であり、義務投票はない)。
  • 閣僚間の平等(首相は同輩中の首位にすぎない)。
  • 独立した中央銀行政治家ではなく専門家が金融政策を定める。

有利条件

レイプハルトは、多極共存型民主主義が成功しやすい有利条件をいくつか特定している。これらの条件の規定は、彼自身の中でも時とともに多少修正されてきた。[28]マイケル・カーは、レイプハルトが重視する有利要因を次のように要約している。[29]

  • 民族共同体の相互隔離
  • 複合的な権力均衡
  • すべての共同体に共通する外部脅威の存在
  • 国家への包括的忠誠
  • エリート間妥協の伝統
  • 社会経済的平等
  • 小規模な人口(政策負荷を軽減)
  • 民族政党を伴う穏健な多党制

レイプハルトは、これらの条件が不可欠でも十分でもないことを強調している。[30]この点から、リナス・ファン・シェンデレンは「条件は存在したり存在しなかったり、必要だったり不要だったりする。要するに、条件があるとも言えるし、ないとも言える」と結論づけた。[31]ジョン・マガリーとブレンダン・オレアリーは、民主的な多極共存型権力分有の確立にとって鍵となる条件は下記の三つだと主張する。

  1. エリートが紛争調整に関与する動機を持つこと
  2. エリートが集団に対して十分な指導力を持つこと
  3. 複合的な権力均衡が存在すること、そして各文化集団が安定していること[32]

カーは、北アイルランドとレバノンにおける国際勢力の役割研究に基づき、国内エリートが多極共存型民主主義を受け入れ支持するための、国際勢力(国家・非国家)からの前向きな規制圧力を条件に加えている。[33]

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支持

多極共存型民主主義国家では、少数派を含むすべての集団が政治・経済の舞台で代表される。支持者は、深く分断された社会においては、統合主義的な紛争管理アプローチよりも現実的な選択肢であると主張する。[34]

批判

要約
視点

国家建設に多極共存型民主主義を導入することには多くの批判が向けられてきた。すなわち、既存の分断を制度化し深化させること、[35]存続に外部支援へ強く依存すること[36][37]、紛争を一時的に凍結するだけで解決はしないこと[38]、などである。多極共存型民主主義における合意には国際介入が不可欠に見えることから、これらの国家建設プロジェクトはしばしば過度に介入的だと評される。[39][40]繰り返し表明される懸念としては、統治エリートの説明責任の低下やクライエンテリズム英語版の助長があり[41][42][43]、これらの力学は、多極共存型民主主義が軽減しようとする深い分断の解消を妨げる障害だと指摘される。[44][45]さらに、多極共存型民主主義がときに脆弱国家の条件を助長してしまうとの批判もある。[46]

ブライアン・バリー

バリーは、レイプハルトが「古典例」とみなす国々に存在する分断の性質を疑問視する。例えばスイスの例については、「政党は社会集団を横断して存在し、きわめて広範に合意を示しており、国民の目標が社会構造によってはっきりと分断されているわけではない」と論じる。[47]オランダの場合については、「不一致は国民全体の信仰を論点だと考える一部のオランダ人の感情から生じたに過ぎない。宗教的一致や世俗的一致を生む政策を求める要求は、同胞の“魂の救済”への関心を前提にしている」と述べる。これに対し、北アイルランドのように激しい対立が存在する社会では「他宗派の信徒が地獄に行く見込みを気に病むことはほとんどなかった」と対照させる。[48]バリーは結論として、オランダの場合には多極共存型民主主義は同語反復であり、このモデルが他の分断社会に一般化可能だという通念ははるかに疑わしいと主張する。[49]

リナス・ファン・シェンデレン

ファン・シェンデレンは、レイプハルトが選択的に証拠を用いていると論じる。オランダの宗派ごとの分断英語版は1950年代の段階で「すでに極めて弱まって」おり、宗派横断的協力は増加し、従前の政治的文化集団は解体しつつあった。オランダのエリートは公益から導かれた選好ではなく自己利益に動機づけられ、集団間の交渉を築くためではなく自党の権力増強のために連立を形成したのだ、と主張する。また、オランダは抗議や暴動が少ないという意味では「安定」していたが、それは多極共存型民主主義導入以前からであり、政権交代の観点からは安定していなかったとも述べる。さらに、オランダ、ひいては多極共存型民主主義と呼ばれるいかなる国が民主主義と呼べるのか、多極共存型民主主義は民主主義ではないのではないかと問い直す。加えて、集団間のどの違いを重大な分断と見なすか、どの違いが集団を切り分けるのか、どの違いは集団の違いとは見なさないのかの同定に厳密性の欠如があると批判する。[50]

ルスティックの覇権的支配批判

イアン・ルスティック英語版)は、学界には深く分断された社会の安定を説明するための代替的な支配手法が欠けており、その結果多極共存型民主主義モデルの経験的過剰拡張が生じていると論じる。[51]彼によれば、レイプハルトは「印象主義的な方法論姿勢、データ・コーディング規則の柔軟さ、そして多極共存型民主主義を広く適用可能な政治工学英語版原理として推進する不屈で修辞的に魅了的な性質」[52]を備えており、そのため適合しない事例にも理論を適用してしまう。また、「レイプハルトの妥協の定義には、分極化ブロックを隔てる諸争点が、和解の必要性を確信する指導者によって解決されるという精緻な主張が含まれている」とも述べる。[53]

ホロウィッツと求心主義からの批判

多極共存型民主主義は、階級のような統合的アイデンティティではなく、民族のような分岐的アイデンティティに焦点を当て、それを制度化・固定化してしまう。また、競合ライバル間の協力に依存するため本質的に不安定であり、国家間関係を軽視する傾向もある。ドナルド・L・ホロウィッツは、大連立は民族内競争の力学ゆえに起こりにくく、多民族連立の形成そのものが側面包囲の形で同族内競争を生み出すと論じる。[54]

ホロウィッツの主張と整合的に、ドーン・ブランカティは、連邦制・領域的自治(多極共存型民主主義の一要素)が、地域政党を強化する設計である場合には民族分断を強化してしまうことを見いだした。[55]ジェームズ・アンダーソンも、分岐アイデンティティに立脚した多極共存型民主主義的な権力分有は、分岐アイデンティティを固定化・尖鋭化しうると支持し、北アイルランドを例に、多極共存型民主主義は民族主義者と同型の地域意識を優先してしまうと論じる。ただしアンダーソンは、こうしたアイデンティティを願望だけで消去することもできないという困難を認め、個人の権利のみに焦点を当て集団の権利を等閑視するやり方にも問題があるとする。[56]代替案として、ホロウィッツは求心主義英語版を提示する。求心主義は、エスニシティの脱政治化と多民族政党の形成を促すことを目指す。[57]

その他の批判

2022年にはヤーシャ・モンクが、実験や実地の観察に基づけば、多極共存型民主主義と権力分有の論拠は当初提案時より大きく弱まっていると論じた。短期的平和をもたらす場合もあるが、それは常に一時的で、長期的には緊張を悪化させやすいとする。[58]

他の批判者は、三つ以上の集団が強力な指導者のもとで多元的体制を発展させるには特定の条件が必要だとも主張する。エリートが支配し周縁化された大衆は戦争が起きても失うものが少ない。多極共存型民主主義は普遍的には適用できない。例えばオーストリアには有効に適用されない。レバノンでは、この理路が戦後エリートによる国家機関・資源の収奪を招いた失敗例だと指摘される。[59]真に当てはまるのはスイス、ベルギー、オランダだけで、より深く分断された社会には当てはまらない、という主張もある。

多極共存型民主主義は、各集団が結束しており、強い指導部を持つことを前提とする。少数派が決定を阻止できるとしても、それには100%の合意が要る。権利は個人ではなく共同体に付与され、社会の一部の個人が過剰代表され、他が過小代表される事態を招く。大連立は民族競争の力学ゆえに起こりにくい。各集団はより多くの権力を求める傾向がある。多極共存型民主主義の支持者は、制度の設計に過度に焦点を当て、制度を超える移行期の問題を十分に見ない、と批判される。

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事例

多極共存型民主主義な基盤で運用された(あるいはかつて運用された)政治体制の例として、ベルギーイタリアキプロス(1960–1963に有効)、第一チェコスロバキア共和国、イスラエル、レバノン、オランダ(1917–1967)、北アイルランド、スイス(主としてイデオロギー線を横断する協議)、エチオピアジンバブエ=ローデシア南アフリカが挙げられる。欧州連合も、イデオロギー横断の協議によって合意型民主主義に類似すると論じる学者もいる。[60][61]

多極共存型民主主義型の和平合意としては、以下がある。

  • アラブ・イスラエル紛争の解決策としての二国家解に加え、一国家多極共存型民主主義を唱える議論もあるが、この解はあまり支持されておらず、和平交渉でも真剣に論じられてはいない。[69]
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関連項目

脚注

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