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多胡郡
日本の群馬県(上野国)にあった郡 ウィキペディアから
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郡域
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、現在の行政区画では概ね以下の区域に相当する。
歴史
要約
視点
古代

郷
『多胡碑』に記される郡内の郷。()内は元々属していた郡と現在の推定地。[1]
- 織裳[おりも]郷(甘楽郡・高崎市吉井町長根)
- 韓級[からしな]郷(甘楽郡・高崎市吉井町神保)
- 矢田[やた]郷(甘楽郡・高崎市吉井町矢田)
- 大家[おおやけ]郡(甘楽郡・高崎市吉井町池)
- 武美[むみ]郡(緑野郡・高崎市吉井地区の南東地域)
- 山部[やまべ]郷(片岡郡・高崎市山名町)
式内社
近代以降の沿革

- 慶応4年6月17日(1868年8月5日) - 新政府が岩鼻陣屋に岩鼻県を設置。幕府領・旗本領を管轄。
- 明治2年12月26日(1870年1月27日) - 吉井藩が廃藩。管轄区域が岩鼻県の管轄となる。
- 明治3年 - 上河内村・下河内村が合併して川内村となる。(28村)
- 明治4年
- 明治6年(1873年)6月15日 - 熊谷県の管轄となる。
- 明治9年(1876年)
- 明治11年(1878年)12月7日 - 郡区町村編制法の群馬県での施行により、行政区画としての多胡郡が発足。「緑野多胡南甘楽郡役所」が緑野郡藤岡町に設置され、緑野郡・南甘楽郡とともに管轄。
- 明治15年(1882年) - 吉井村・川内村が合併して吉井町となる。(1町25村)
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。特記以外は全域が現・高崎市。(1町3村)
- 明治29年(1896年)4月1日 - 。郡制の施行のため、「緑野多胡南甘楽郡役所」の管轄区域をもって多野郡が発足。同日多胡郡廃止。
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行政
- 緑野・多胡・南甘楽郡長
脚注
参考文献
関連項目
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