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大原桜井

奈良時代の皇族、貴族、歌人。河内王の子。もと桜井王を称し、臣籍降下後の氏姓は大原真人。 ウィキペディアから

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大原 桜井(おおはら の さくらい)は、奈良時代皇族貴族歌人。もと桜井王を称し、臣籍降下後の氏姓大原真人敏達天皇の後裔[1][2]筑紫大宰帥河内王の子。官位従四位下弾正尹

概要 凡例大原桜井, 時代 ...

経歴

和銅7年(714年)無位から従五位下に直叙される。養老5年(721年)従五位上。同年に井上内親王斎王に卜定されて伊勢神宮への奉幣を行った際、葛城王らと共に輿長を務めている[3]

神亀元年(724年聖武天皇の即位後間もなく正五位下に叙せられると、神亀6年(729年)正五位上、天平3年(730年従四位下と聖武朝前半にて順調に昇進した。またこの頃、侍従として聖武天皇に仕えた兄弟と想定される門部王ら10余人と共に「風流侍従」と称された[4]

天平11年(739年)兄弟の高安王・門部王らと共に大原真人姓を賜与され臣籍降下する。大蔵卿在任時の天平16年(744年)には、聖武天皇の難波宮行幸に際して、恭仁京の留守司に任ぜられている。

のち、弾正尹も務め、『万葉集』に採録された和歌によると[5]孝謙朝の天平勝宝8歳(756年)頃まで存命であったとされる[6]

人物

万葉歌人として、天平5年(732年)頃以降の[7]遠江守在任時に聖武天皇と贈答した和歌と[8]、天平勝宝8歳(756年)頃に[6]佐保川の辺で詠んだ和歌[5]が『万葉集』に採録されている。

官歴

注記のないものは『続日本紀』による。

系譜

脚注

参考文献

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