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大塚楠緒子
明治時代の歌人、作家 ウィキペディアから
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大塚 楠緒子(おおつか くすおこ/なおこ、1875年(明治8年)8月9日 - 1910年(明治43年)11月9日)は明治末期に活躍した歌人、作家。夫は美学者の大塚保治(入婿)。本名:大塚久寿雄。別名:久寿雄子・楠緒・楠緒子。才色兼備で夏目漱石が恋した人として知られる。
生涯
東京控訴院長・大塚正男の長女として東京市麹町区一番町で生まれる。麹町の富士見小学校出身。東京女子師範附属女学校(現・お茶の水女子大学附属中学校・高等学校)を卒業後、佐々木弘綱・信綱の元で和歌を学んだ。1895年、小屋保治と結婚(保治は大塚姓になった)。夫が留学中、英語を明治女学校で学ぶほか、絵画を橋本雅邦に師事、ピアノや料理なども学んだ。
雑誌『太陽』1905年1月号に日露戦争に出征した夫の無事を祈る妻の心情を歌った「お百度詣」を発表した。また万朝報や朝日新聞に連載小説を発表するほか、ゴーリキー、メーテルリンクなどの翻訳や、絵画、ピアノなど多才であり、才色兼備と言われた。
1910年、流感に肋膜炎を併発し、娘3人と息子を残し、大磯の別荘で死去。楠緒子の死後、夫を通じて交流のあった夏目漱石は「あるほどの菊投げ入れよ棺の中」という句を詠んだ(『思ひ出す事など』七)。密かに漱石が恋した女性と記述される事もある[1]。墓所は雑司ヶ谷霊園。
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作品一覧
小説
短編集
- 晴小袖(1906年、短編・翻訳・戯曲集)
- 暁露集(1909年)
戯曲
- 綿帽子(1902年)
翻訳
軍歌
- 泣くな我子(1895年)
詩
- お百度詣(1905年)
分類不明
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出典
参考文献
関連項目
外部リンク
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