トップQs
タイムライン
チャット
視点
大塚経長
吉川氏の一門 ウィキペディアから
Remove ads
大塚 経長(おおつか つねなが)は、戦国時代の武将。安芸国国人・吉川氏の一門で、12代当主・吉川国経の次男。
生涯
永正15年(1518年)8月30日、吉川氏の兵を率いて毛利元就と共に備後国世羅郡赤屋[注釈 1]へ出陣したが、この時の戦いで経長は戦死した。
この時の赤屋の領主が誰で、何故毛利氏と吉川氏が赤屋を攻めたかは史料がなく不明であるが、毛利氏においても粟屋元親の名代である長八郎左衛門が戦死し、粟屋元秀や保垣刑部左衛門が負傷するなど、激しい合戦であったことが窺われる(赤屋・小国の合戦)[3]。
経長の子孫は、その後吉川氏を相続した吉川元春やその子の吉川広家に仕え、江戸時代には岩国領主・吉川家家臣の大塚家となる[1]。
脚注
参考文献
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads