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大宰府学校院跡

福岡県太宰府市にある遺跡 ウィキペディアから

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大宰府学校院跡(だざいふがっこういんあと)は、福岡県太宰府市大字観世音寺に所在する大宰府の官人養成機関に関する遺跡である。1970年昭和45年)に、国の史跡に指定されている。

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学校院跡

概要

大宰府学校院は、中央の大学・典薬の両寮、地方の国学に相当するものである。その成立時期は明らかではないが[1]律令制度の整備が進むにつれて、学校に相当する機関が設立されたと考えられている。

天応元年(781年)3月の太政官符に「府学校に六国[2]の学生・医生・算生[3]は二百余人あり」と見えるのが文献上の初見史料である。

発掘調査

1969年昭和44年)から、大宰府史跡調査の一環として発掘調査が行われた。学校院の中央部から掘立柱建物4軒が検出された。そのうち2軒は2間×3間の総柱で倉庫風の建物、他の2軒のうち1軒は4間×7間の南北に庇を持つ建物と推定されており、中心的建物と考えられている。この建物の時期は平安時代前半と推測されている。学校院の東辺部からは掘っ立て柱建物7軒、南北溝、築地状遺構などが検出されている。建物は3回建て替えられ、奈良時代の後半頃の建物が一番古い。南北溝は、平安時代から室町時代にかけて存続しており、築地状遺構も平安時代前半頃の築造と考えられており、学校院の東を区切る[4]ものであったと推測されている。学校院の全体の発掘調査は今後の課題である。

交通アクセス

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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