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大岡雲峰

1765-1848, 江戸時代後期の文人画家 ウィキペディアから

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大岡 雲峰(おおおか うんぽう、明和2年〈1765年〉 - 嘉永元年〈1848年〉)とは、江戸時代旗本文人画家

来歴

名は成寛、通称次兵衛。は公栗。雲峰と号す。江戸の生まれで筑後柳河藩士牛田忠光の子として生まれる。のちに旗本大岡助誥の養子となり、天明8年(1788年)24歳のとき家督を継ぐ。寛政3年(1791年)には表右筆に任じられる。

絵では鈴木芙蓉の高弟で、のちにふたつ年上の谷文晁の門人となった。山水画花鳥画を得意とし、二宮尊徳とその娘の画の師にもなった。四谷大番町に住み、画風を南蘋派に転じると四谷南蘋と称され[1]文化年間には文晁や酒井抱一などと並称された[2]

本草学にも興味を持ち、増田繁亭編『草木奇品家雅見』(そうもくきひんかがみ、文政7年〈1824年〉)や水野忠暁『草木錦葉集』(文政12年〈1829年〉)などに弟子の関根雲停石川碩峰とともに挿絵を描いている。天保7年(1836年)6月21日に雲峰主催の尚歯会大窪詩仏の詩聖堂で開催され、村井東洋(82歳)、谷文晁(75歳)、春木南湖(78歳)、大窪詩仏(70歳)など11人が参加した。雲峰はこのとき73歳、江戸画檀の長老として敬われた。享年84。

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作品

版本
  • 『狂歌雅友集][3]
  • 『漢画石譜[4]』 ※文政4年の序文あり。明治13年(1880年)刊
本画
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門人

脚注

参考文献

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