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大島治男
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大島 治男(おおしま はるお、1939年5月7日 - )は、広島県出身のサッカー選手。元サッカー日本代表。
来歴
現役時代は、小柄ながら抜群のボールコントロールを持ち合わせた選手[1]。
中学からサッカーを初め、広島サッカー御三家であった広島大学附属高校に入学[1][2]。鬼武健二、高重清純、丹羽洋介、野村尊敬、桑田隆幸らとプレーしている。
高校卒業後、東洋工業(現マツダ)に入社、東洋工業蹴球部(現サンフレッチェ広島)に所属する[1]。1962年の全日本実業団サッカー選手権大会優勝に貢献、1965年にJSLが始まると、初年度には岡光龍三、松本育夫、桑田隆幸、桑原楽之、中村勤らとともにFWの一員として東洋工業無敗優勝に貢献、1960年代後半の黄金期のメンバーとして活躍した[2]。
その活躍から代表に招集され、1959年高橋英辰率いるU-20サッカー日本代表に選ばれAFCユース選手権1959出場し3位入賞[3]、1962 FIFAワールドカップ・予選のメンバーに選ばれ、1960年11月7日ソウルで行われた対全韓国戦に出場(Cキャップ)し得点を挙げている。
2016年現在、東広島市にある「東広島四十雀サッカークラブ」に所属する現役のプレーヤーであり、四十雀SCの少年部門である「リトル・ティット」の監督として活躍している[2]。
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所属クラブ
個人成績
脚注
参考資料
関連項目
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