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大枝山古墳群

京都市西京区にある古墳群 ウィキペディアから

大枝山古墳群
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大枝山古墳群(おおえやまこふんぐん)は、京都府京都市西京区御陵大枝山町にある古墳群群集墳)。13基(附1基)が京都市指定史跡に指定されている。

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大枝山古墳群 概観
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大枝山古墳群
大枝山
古墳群
大枝山古墳群の位置

概要

京都盆地西縁、大原野北側において、小畑川支流の下狩川による狭長な開析谷に築造された古墳群である。23基が確認されており、そのうち9基は1980-1987年昭和55-62年)に公園整備に伴う発掘調査が実施されている。

古墳23基のうち、4-25号墳の20基は谷の狭間に密集し、1・2号墳の2基はそこから南約400メートルの丘陵斜面に離れて位置し、26号墳は下狩川の東側の丘陵内に単独で位置する[1]。いずれも直径10-20メートル程度の円墳で、多くは墳丘を良好に遺存する。いずれも埋葬施設は横穴式石室で、両袖式を中心として、片袖式・無袖式をわずかに含む[2]。両袖式石室は、玄室長3.6メートル・幅2.2メートル程度のものと、玄室長3.2メートル・幅1.7メートル程度のものに大別され、前者が古式とみられる[2]。石室内からは、副葬品として鉄鏃・刀子・須恵器などの遺物が出土しているが、鉄釘・玉類がない点、象嵌装鉄刀・陶質土器杯・装飾須恵器など特徴的遺物が出土した点で注目される[2]

築造時期は、古墳時代後期-終末期6世紀末-7世紀初頭頃と推定される[2]。北山城地域における標識となる典型的な群集墳であるとともに、多くの古墳で発掘調査が実施されたことで、古墳の墳丘・石室や群集墳の構造を理解するうえでも重要視される古墳群になる[2]

13基(附1基)の古墳域は2000年平成12年)に京都市指定史跡に指定されている。現在は史跡公園「桂坂古墳の森」として整備されているが、公園内への立ち入りは制限され、毎年春・秋の2回のみ公開されている。

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遺跡歴

  • 1914年大正3年)、梅原末治が「塚原村の群集墳」として、古墳8基を学会に紹介[1]
  • 乙訓地域の分布調査。大枝山古墳群の測量図の作成(京都府教育委員会、1968年に報告)。
  • 1967年昭和42年頃)、丘陵一帯の住宅地建設計画が浮上[1]
  • 1980-1987年昭和55-62年)、桂坂住宅地内古墳公園整備に伴う発掘調査(京都市埋蔵文化財研究所、1989年に報告)[1]
    • 1980年(昭和55年)、第1次調査。地形測量、石室開口4基(15・18・20・21号墳)の石室実測、保存対象外7基(4・5・14・23・24・25・26号墳)・推定古墳2基(3・13号墳)の発掘調査。
      4・14号墳は移築復元が決定してそれに向けて調査、3・13号墳は古墳でないと判明。
    • 1983-1984年(昭和58-59年)、第2次調査。移築復元予定2基(4・14号墳)・保存対象外となった1基(22号墳)の発掘調査。
      22号墳は移築復元が決定、4・14号墳と同様の方法で調査。
    • 1987年(昭和62年)、第3次調査。石室開口1基(21号墳)の整備に伴う発掘調査。
  • 2000年平成12年)4月1日、6・7・8・9・10・11・12・15・16・18・19・20・21号墳の13基が京都市指定史跡に指定(附に移築14号墳1基)。
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一覧

さらに見る 名称, 墳丘 ...

移築14号墳

15号墳

21号墳

その他

文化財

京都市指定文化財

  • 史跡
    • 大枝山古墳群(6~12、15、16、18~21号墳、附 14号墳) - 2000年(平成12年)4月1日指定。

関連施設

脚注

参考文献

関連文献

外部リンク

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