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大江正言
平安時代中期の貴族・歌人。弓削朝臣のち大江朝臣。文、大学允、従五位下。後拾遺詞花作者 ウィキペディアから
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大江 正言(おおえ の まさとき)は、平安時代中期の貴族・歌人。氏姓は弓削朝臣のち大江朝臣。大隅守・大江仲宣の子。官位は従五位下・大学允。
経歴
文章生から、勘解由判官・大学允・右馬助を歴任し、位階は従五位下に至る。また、国司として出雲国に下ったこともあった[1]。
和歌に親しみ、能因と親交が篤かった他[2]、長徳元年(995年)長徳の変後に大宰府に左遷させられた藤原伊周を護送する弟・嘉言と同道して、伊周に和歌に贈っている[3]。勅撰歌人として『後拾遺和歌集』に2首、『詞花和歌集』に1首の計3首が採録されている[4]。
官歴
脚注
参考文献
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